神話の森
最近、神話を読んでいて気がついたことなんですが、神話って必ず対立する神々が出てきませんか?いや、とっくにお気づきの方には笑い飛ばされそうですが。
北欧神話のアサ族とヴァナ族は知っていましたが、よーく考えてみると、これがどの神話にも必ずといっていいほどある。
北欧神話との類似点が見られて当然といった感もあるケルト神話はダーナ族が先住の巨人族フォモーレと戦い、勝利しますが、やがて後からの侵入者たるマイリージァ族と対立し、最後は負けて彼岸の国へと退いてしまいます。
有名なギリシア神話。これもゼウスとその父クロノスが対立、激しい戦いの後にゼウスが勝利をおさめます。これもクロノスはその父ウラノスと対立してましたよね。
そして、日本神話。これ、当たり前過ぎて今の今まで全然気づかなかったんですが、天つ神と国つ神。よーく考えてみると両者は対立しているんですよね。国譲りは無血開城って感じですか。あまりに神話化されてて気づかなかったな。
北欧、ギリシア、ケルトではみな総じて対立する一族は巨人と称されているのも面白いと思いました。これも意味があることなんでしょうか?
日本では国つ神は神様ですが、征伐される異民族、有名なところでは熊襲、蝦夷。あと土蜘蛛族というのもあるんですよ。これ何を意味していると思います?横穴式の家にでも住んでいたのかな?私にはずっと疑問なんですが。
太陽神話について調べようと思ってですね、神話伝説辞典なるものを紐解いていた時のことです。
異なる系統の太陽崇拝があった例として、多くの社や神様の名前が列記してあり、『神名帳』には天照御魂神社(あまてるみたまのかみのやしろ)、天照玉命神社(あまてるだまのかみのやしろ)、天照神社(あまてるのかみのやしろ)などがあり、また『三代実録』に天照高日女神(あまてるたかひめのかみ)、天照御門神(あまてるみかどのかみ)などがある。その他にも天照御魂神(あまてるみたまのかみ)、天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)などが書かれていました。
で、あれ、と思いませんか?「天照」とみなついているのは太陽神なのですから、当たり前なんですが、これ「天照」がみな「あまてる」とふりがながふってある。日本語らしいよねえ、とわけわからない感想を抱きつつも何か釈然としない。あ、そうだ、とようやく気づきましたよ。こんな異系統の神々がことごとく「あまてる〜」という名なのだとしたら、もっともよく知られている天照大御神はなぜ「あまてらすおおみかみ」なのでしょう?「あまてる」じゃない、「あまてらす」なんですよ。
でも、この疑問の答えは同じ辞典の”天照大御神”の項に載っていました。
辞典に曰く、
アマテラスはテルの敬称だが、このテル、テラスの語を「光」や「明るさ」を表わすマレー語やバタク語などの語と関連させて説き、この神を南方出自であるとする説もある。
とか。ほう、なるほど。また、
御神体を納める御舟代(みふねしろ)の存在や「播磨風土記」にこの神の乗る舟のことが記されていることなどは、東南アジアからオセアニアにかけて行われていたらしい「太陽と舟の結びつき」の信仰と関係があるであろうといわれている。
のだそうな。さらに、
わが古代の日神の乗物は大陸方面におけるような馬車ではなくして船であり、これにしばしば死霊を同乗させて他界に運ぶと信じられていたらしい。したがって古墳・葬送・死者祭祀などと関係が深かった。日と船の関係は東南アジア、オセアニアに行われていたものであり、さらにユーラシア大陸南岸沿いにかけて分布する、海洋民族的な信仰文化の産物であった。
とここは辞書のまる写しです。
アマテラスにはいろいろな異説があって、風土記にはアマテラスが女性の元に通う話があり、元々は男神であったようです。この話を知った時は思い切りエキサイトしましたが;
さて、ここで突如、「ヘイムスクリングラ」というアイスランドの古書が出てきます。この書物の中では北欧神話の主神オーディンは中央アジアの遊牧民の首領であった、と書かれているというんですねえ。「ヘイムスクリングラ」は確かまだ翻訳本が刊行されていなくて、英語も読めない私はこの記述の有無を自分で確かめたわけではないですけど。
アマテラスとオーディン、日本神話の天つ神の一族と北欧神話のアサ神族のそれぞれの主神がともにアジア出身であるかのような説があるというのはとても面白いと思います。オーディンの出自についてはいづれまた☆オーディンと北欧神話の項でやりたいと思ってます。
しかし、これから先はまたもや独り言の思いつきですが、アマテラスは船と関連があるというのは知りませんでした。確かに言われてみれば記紀でも出てきますよね、船。でも、オーディンもヴァイキングに崇拝されていたわけでこれもまた船と関わりが深いということで・・・だから何だ、と言われればただそれだけなんですが。
そういえばアマテラスの兄弟とされる月神ツキヨミは馬に乗っている姿だと言われていますが、馬、と言えば、やはり騎馬民族、ということになるのでしょうか?
話がどんどん派生していきますが、アマテラスとツキヨミ、スサノオは兄弟として世に語られますが、神話では兄弟関係にある神々は総じて名前が似ているという特徴を持っています。そのため、この三柱の神々はその名から言って、元々は別系統の神だったのではないかと言われています。スサノオはその名前からするとそのままずばり「スサの男」という意味ですが、出雲神話ではオオクニヌシ(大好き!)の先祖として出てきますし、やはり起源は国つ神ということになるのでしょうか?そして、ツキヨミ・・・極端に神話の少ないこの神の起源はまた違う資料に因らなければならないでしょうね。ああ、わくわくする。
最初の話は確か、不動明王についての話題だったと思います。
火の信仰というとやっぱり拝火教、ゾロアスターかなあ、という話題になって、そういや、日本古来の火の神様ってぴんとは来ないよねえ、と思ったのでした。民間伝承ではいらっしゃいますが、古事記ではイザナミが火の神カグツチノカミを生んだことで亡くなってしまうし、嘆き悲しんだイザナギは十拳(とつか)の剣でカグツチの頸をはねてしまいますよね。あんまりいい役どころじゃないなあ〜と思ってたんですよ。
ところが。
あれ?と思って。
海幸山幸ってホスセリノミコト、ホオリノミコトじゃなかったっけ?「ホ」は「火」じゃなかったっけ?
おまけに山幸は神武天皇のお爺ちゃんじゃなかったっけ?
神武天皇の血統が火に関連する名を持っているということは、じゃあ、やっぱり火への信仰は厚かったってこと?……という疑問が湧いてですね、で、今回、唐突に火について調べてみることにしました(^^;;
まずはいつもどおり、「火」という言葉の出所チェック!
勿論、資料は『角川外来語辞典』(荒川惣兵衛著)。これ以外にないのか?!ってお思いでしょう?ないんですよ;;;しかし、小学生の時に買ったこの辞書が今頃役に立つとは思わなかったなあ〜;;;
で、いきます。
ヒ【中 火[hwi,hi]】火。
こんだけかい(^^;;まあ、「ヒ」という音が中国から来たことだけはわかりました;;
ついでに日についても調べてみる。どうせ上に書いてあるし;;
ヒ【中 日[si]、義[hi]、暉[hi]】日。太陽。
発音違うんですねえ〜。これは古代日本語でも甲類、乙類と区別されていましたね。その昔、火と日は音が違ったんですよ、ってここいらはリアルタイムにお勉強されている方にはお馴染みのことかもしれません。
日が甲類、火が乙類です。
で、もひとつ「ヒ」があるのでそれもついでに。
ヒ【中 氷[ping1,pi2,pin3]】氷。
氷もヒかあ。氷川神社とか氷雨のヒですねえ…pingピングー、って書いてありますねえ…やっぱり氷はピングーなのかあ…(←意味不明……注:ピングー=粘土のアニメーションで世界一元気なペンギンがキャッチフレーズ。可愛いキャラに似ず、結構スラップスティックで笑える。どこ国のアニメだったかなあ?)
ピングーって何語かなあ…ペンギンも響き似てるねえ…もしかして語源的に繋がっているんじゃあ………
……(沈思黙考)………はっ!
火、でしたね(^^;;
でも、やっぱり気になるので、ペンギンで調べとこう;;
ペンギンはウェールズ語が元で、英語だとpenguinですが、オランダ、ドイツ、フランスだとpinguin。
お、pingじゃないか!これってやっぱり……
【ウェールズ語 pen guin】白頭。
えっ?!penとguinで分かれるの?!白い頭って意味なの?!じゃあ、ギネヴィアのguinと一緒ってことやん。だから、guinが白だよね?ってことはpenは頭?…なああんだ、じゃあ、ただの偶然の一致かあ〜;;;;……あれ?じゃああさあ、ペンは?ボールペンのペンは?頭って意味?……ペンはラテン語で原義は羽…羽ペンがそもそもの筆記具の始まりのためらしい(- -;;
閑話休題;;
さて、火のもう一つの読み方、ヤマサチの本名にも出てきた「ホ」も調べてみましょう。
ホ【中 火[fo]】→ヒ。(>ホクチ、ホコッズ、ホたる、ホのお、など)
ううむ、やっぱり中国語か。辞典続けて曰く、
「華音より来れる倭語。中華の人の言語を其のまゝに受用ひたるなり。火をホと訓じ(ヒといふのはホより転じたるもの)」太宰春台『倭読要領』
へええええ、じゃあ、ホが先で、後でヒと言われるようになったということか。
ついでに穂、帆もみておきましょうか。
ホ【中 禾[ho]】《禾は説文に「嘉殻也」とあり穀類のホの垂れ下がった形にかたどった象形文字で上部のノが、垂れ下がったホである─山中襄太》穀物のほ。
ホ【中 帆[ho]】風によって船を推進する船具の一つ。(>まホ、かたホ、ホかけブネ、ホづな、ホばしら、ホたてガイ)
で、ここまで来たらもう一つのホを見つけた。ついでに載せちゃう。
ホ【中 百[po]】百。100。(やホや>やオや)→ソ。チ。
八百万の神々、の「やおよろず」もそうですね。これがP音だというのはいづれやるつもりですので、乞うご期待(^^)。
と、ここまで、「ヒ」という音を追ってみました(辞書めくっただけやん;;)。
で、疲れた;;次回に続く、ということで(^^;;次回は古事記をめくります;;続く。
しかし、久々に燃えたな…火だけにって?……寒っ……氷だけに…(- -;;
やっと火についての続編をお届けできますね(^^;;
まったく何日たったんでしょう;;
で、火について予告では古事記をめくってみることとします、と予告打ってますが、やっぱりもう一度、辞書めくってしまいました(−−;;
今度の辞書は『神話伝説辞典』。もうすっかりおなじみになってしまったかもしれませんね。ずいぶんとお世話になっている辞典です。
人間にとって火はとても重要なものであり、かつて火は「火産霊神」つまり、ほむすびのかみという名で祀られていたと辞典にはあります。火産霊神は別名、火之加具土神ともあります。『神名帳』には香具土乃至火結(かぐつちないしほむすび)を祀る社は紀伊・丹波・伊豆にあったとか。
まあ、ここまでは知識としてご紹介といったところですが、辞典はここでかまどと火の密接な関係に言及していきます。
かまど=火の図式を即断するのは早計としながらも、「かまどの神を後世火男と呼んでいる事実からも、両者はきわめて密接な関係にあることが推測される」(『神話伝説辞典』より引用)。
火男って、ひょっとこ、のことですよね。
ひょっとこの尖らせて曲がった口は火を起こすための所作だといわれているのは周知のことと思います。要するに、ひょっとこもかつてはかまどの神、その神としての神性が剥落した姿がひょっとこという形で残っているというわけですね。
かまどの神、と聞いて、たいていの人が連想するのが、そう、荒神様。
「薩南諸島から沖縄にかけては、火の神の信仰が強く、家々の火神ばかりでなく部落全体でも祀る火の神がある。神体は三つの石で川や海から拾ってくる。これが原始的なかまどである。その神は海の底、もしくはニライカナイから生れてくる女神であると信じられる。その神は毎年十二月二十四日に昇天して家人の一年間の行状を天に報告すると信じられている。日本内地でも、かまど神は南九州では石をひろって来て荒神棚にかざる風があり、沖縄の信仰との共通の母胎をうかがわしめる。」(同辞典より引用)
かまどが三つの石で象徴されるというのも面白いですが、なんといってもぴくぴくなのは、やっぱりこの日付でしょう。どうしてクリスマス?!(爆)
それに天に昇って行状を報告してしまうところ、まるで庚申の夜の三尸の虫のようです。ついでに火の神が女神というところ。かまどなんだから当然といえば、そうなのですが、阿曽女と言われた巫女に祀られた阿蘇の火の神のことも連想できそうです。しかし、肥前肥後の「肥」はもともとは「火」だったわけですから、もっと火神伝承があってもよさそうなものだが…
かまどの神といえば、ギリシアにヘスティアという女神がいましたね。何の神話も残っておらず、すごく不思議に思った頃が懐かしい(遠い目)。
閑話休題。
あちこちと重なってしまう要素は単なる符合なのか、派生していくものなのか、今のところ何の手がかりもありませんが、ちょっと面白くなってはきました。
ここから調べ物が始まるというわけですね。
さあ、次こそ古事記をめくるぞ(−−;;
さあ、約束どおり今日こそは古事記をめくるぞっ(−−;;
古事記に出てくる火の神の説話といえば、有名すぎるくらいなのが、イザナギ・イザナミ伝説。そう、イザナミが火の神を産んで、火傷を負って死んでしまう話です。
この説話、実はすごく細かい。
イザナミの死を猛烈に悲しんだイザナギによって産まれたばかりの火の神は斬り殺されてしまいますが、この時に火はいくつもに分かれて、それぞれに名前のある神になるんです。
どうしてこんなにいちいち名前がついているのだろうというのは古事記全般を通じての疑問のひとつでもあります。
火の神話ってこれくらいよね、他には…とふと思ったのが、そもそものきっかけだったとは、「火」にも書いた通りです(^^)
火への信仰はあったのかなかったのか。
その位置づけを確かめるため、思い出したのが、海幸・山幸の逸話だったとも、「火」の中で書きました。
かの有名な兄弟喧嘩のお話。
弟に貸した釣り針なくされた兄がごねたばかりに最後は弟の番犬がわりまでさせられてしまうという有名な説話ですが、よく考えるとこれも不思議な話。そもそも得物の交換をしようと言い出したのも弟なら、釣り針なくしたのも弟なのに、だから嫌だと言ったのに、と怒った兄にだけ罰があたったみたいな結末はどうも釈然としないのですが…やっぱりこれって山の民と海の民との争いに山側が勝ったってことなんですかねえ…どうみても海洋民族の神話のようなイザナギ・イザナミ神話からスタートした古事記も最後は大和の地という海のない、山の真中のような土地に落ち着いてしまいますし…国の中心に行ったのだという説もありましょうが、大陸との関係をとてもよく理解していたであろう当時の為政者が、大陸からの文物が全く入ってこない奥地に居を構えるというのはどうも釈然としないですし…それこそが大和が全国を平定した証拠という反論もあるでしょうけどね。海沿いでは諸外国が攻めてきた時にはすぐに占拠されてしまうので、都の防御のため、奥地に建設したのだという説もあります。そう考えてみると、大和に移った当時は対外的な緊張が高まっていたのだと考えることもできるでしょうか。
最近の発掘調査ではかなり古い時代の遺構の発見が大和地域で相次いでいて、邪馬台国近畿説が勢いをつけているように思われますが、でも、やっぱり文献的には九州なんだよなあーでも、発掘からいえば近畿説。うーむ;
閑話休題。
なんだっけ;;そうそう、海幸・山幸でしたね(^^;;
海幸・山幸、本名を火照命(ホデリノミコト)、火遠理命(ホオリノミコト)またの名を日子穂々出見命(ヒコホホデミノミコト)といいます。二人とも火という字を名前に持っている、というのが最初のお題目でございました。
実は彼らが三人兄弟だということを覚えておいでの方も多いでしょうね。
二人の間に火須勢理命(ホスセリノミコト)がいます。
この三兄弟になぜ火の字がついているかといえば、これにも納得のいく説話がちゃんと伝わっているんですね。これまた有名な話です。
兄弟の母親は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)、とくれば、当然、父親は日子番能邇々芸命(ヒコホノニニギノミコト)。天孫降臨の立役者です。
サクヤヒメがお産の時にニニギノミコトに父親が本当に自分なのかと疑われてですね、天孫の子どもでなかったら、きっと無事には生まれないはずです、とばかりにお産の時に、出入り口もふさいだ産屋にこもって火をつけたんですね。一番上の兄は火が照り映えている時に産まれたので火照命、二番目は火の勢いがすごい時に産まれたから火須勢理命、そして最後は火が遠のいてから産まれたから火遠理命と名前がついた……ということは、三つ子だったのか……今、気づいた;;
燃えさかる産屋で生まれるという説話は実は雄略天皇にもあって、とても興味深いのですが、とりあえず、閑話休題。先を急ぎましょう。
この末の弟、ホオリノミコトが海神の娘、豊玉姫と結婚して産まれたのが、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)。で、彼の息子が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト)、つまり、神武天皇なわけです……ああ、長かった;;
つまり、火と関係する神の流れに天皇家が位置しているということなわけで、それってやっぱり火が信仰されていなかった、ということじゃなく、具体的な説話にはのこっていなくても、火の神の当時における位置というものを端的に表しているように思うのですが、どうでしょう?
この火が象徴するものをあれこれ夢想するのは楽しいです(^^)
火とは関係ないですが、兄弟で相争う様はなんだか争いの種は常に包含されているという暗示にも思えて、興味深いです。はい、誰もそんなことは言ってませんねっ;;
でも〜ほら〜、オーディンとロキは義兄弟ですし、神と悪魔は時間が始まる前から一緒にいますし、古い時代において神は完全無欠じゃないですし〜争いの種はいつも身のうちに包含されているってわけで、当時の人は結構自戒してたりしたんじゃあ……夢想はつづくよどこまでも♪
実はこのサイト、元は歳時記ネタをやろうとHPを作成したという過去がありますので、まあ、せっかくだから歳時記ネタも取り上げてみようかなと思います。
でっ。
やっぱりクリスマス。
Christmasと英語で綴るのは御存知でしょうが、Xmasと書かれることも珍しくないですよね。
なんで?と思ったことありません?
まあ、割と知っている人も多いかなあとは思いますが、知らない人は驚いて読んでくださいね;;
子供の頃は、Xはクロス?くろすます?とか、わけわからんこと考えて頭悩ませていましたが、勿論、当時から、んなわけないだろう!と自分で突っ込み入れてましたが;;実はこのX、クロスでもエックスでもなくて、ギリシア語なんですね(^^;; Xristosの頭文字なんだそうです。
ギリシア語でXてのは「きー」と発音するようですね(手元の辞書による(^^;;)。
-masは御存知、missa、mass、ミサですね。つまり、キリスト祭り、と訳されるわけです。
それなら知ってる〜という人、多かった?
それじゃあ、つまらないですね。じゃあ、そのキリストってのは何か、というとこまで調べてみることにしましょうかね。
キリスト、というのは実は固有名詞じゃないんですね。親のつけた名前はイエスの方です。
キリスト、というのはですね、「油を塗られた者」という意味なんですよ。油を塗られた、というのは慣用句で、…祝福された者?じゃなかったかなあ?;;;;;スミマセン;;手元の資料で裏がとれませんが、確かそうだったと記憶しております(- -;; 違う!という方は御連絡ください;;
で;;;
それも知ってる〜という人もいますか?
じゃあ、もう少し続けます;;ギリシア語で「油を塗られた者」というとキリスト。でも、これは実はギリシア語に翻訳されたものなんです。元々のヘブル・アラム語をギリシア語に訳したものなんだそうです。
へえ〜知らなかったな。で、ヘブル・アラム語では何というか、といえば「メシア」。
よく聞きますよね、メシア。キリストはメシアのギリシア語訳ということなんですねえ、へえ〜。
で、「実際的には王の同義語であったが、後に来るべきダビデの子孫なる待望のメシア」として意味が変わったと、『増補改訂新約ギリシヤ語辞典』(岩隈直著、山本書店)に書いてあります……この辞典、実は仕事のために買ったんですが、新訳だと思ったんですよ(^^;; それがよく見たら新約……新約聖書ギリシア語辞典だったんですよね(^^;; だから、現代ギリシア語とは少し違うかも…;;; しかし、6600円もしたんですよ;;よく買ったよなあ〜(^^;; ネーミングの仕事だったんですが、結局、この辞書から選んだ言葉が採用となって、思い出深い一冊となったのでした;;でも、こんなのに使って聖書研究のために一生懸命書かれた著者の方に申し訳ない気も…(^^;;
閑話休題。
さて、おなじみ『角川外来語辞典』にはクリスマスについて書かれた過去の日本の資料が紹介されています。
すなわち、『芸術雑誌』(1878.12)曰く「本月廿五日は、西洋のクリスマスという耶蘇の祭日にて、此祭日は、本邦の氏神祭と福引を一つにしたる様な慣習なり」……なんかわかるような;;;
また、『西洋美術辞典』(1954)曰く「ローマ教会ではコンスタンティヌス帝の時代(354年)から12月25日と定めた」ほおおっ!そうなんですか!知らなかった〜
で、日本における最初のクリスマスについては三つの説を紹介しています。
まず、『事物起原考』(速水建夫、1956)曰く「1876年、東京銀座の堀の原女学校で行なわれたのが、日本におけるクリスマスの初めである」。
また、『中日』(1956.12.24)曰く「永禄8年(1565年)神父フロエスが京都でクリスマスを行なったのが、日本最初のクリスマスだそうである」。
そして、『中日(佐藤裕)』(1962.12.23)曰く「最初の米国総領事タウンゼントハリスの日記によれば、彼は日本で最初のクリスマスを、安政3年(1856年)に、伊豆柿崎の玉泉寺で祝っている」。
見事にばらばら(^^;;さて、どれが本当なのでしょう?
いよいよ新千年紀、2000年の幕開けです。
新千年紀といえども、日本人ならやっぱりお正月には初夢を見なくちゃいかん☆
でも、正月二日が初夢だとか、言いますよね。常識でいくといっちばん最初に見た夢が初夢のはずなんだけど…ってなことをむかーしむかし、仕事で調べたな、と思い出して、データひっくり返してみました(^^;
だから、今回は資料がわかりませんが、そこはどうぞお許しを☆
で、実は、いつが初夢という定説はないんだそうですよ、これが。
古くは立春正月といい、節分の夜見た夢、すなわち立春の朝に見た夢を初夢としていたそうです。
そこから正月の朝見る夢を初夢とする考えが起こったわけですね。うむ、これはよくわかる考え方です。
で、正月が一月朔日となってくると、大晦日に見たのが初夢、という気がするでしょ?
ところが、お立ち会い(誰がや(^^;;)!除夜には寝ないという習慣があったらしいんですよねえ〜。
どうもその昔は一日が夕刻から始まる、とでもいうような考え方があったようなんです。
宮中の行事がたいてい夕刻から夜を徹して行われるというのもこの考え方に基づいたものではないか、と…物の本に載っていただけで、ホントかどうか知りません(^^;;
これ、ちょっと面白いでしょ? 覚えてらっしゃる方も多いと思いますが、つい先だってアップしたクリスマスにも、なぜクリスマスをイブの夜に祝うかという話を…してないやん!;;
おかしいな、書いたつもりだったのに;;
よし、これは別件でアップします;;そっち参照;;
で、で、この話は私のもう一つの楽しみ事、北欧神話にも派生します(*^^*)北欧神話では一日は夜と昼から成るもので、夜が昼に優先されるんですよ。いくつかの事例を考えてみると、もしかすると、かなり広範囲にわたって、こういう考え方が流布していた?……そう考えることも可能?という気もしてきます。このことはもう少し調べてみないと偉そうなことは言えませんが、ちょっと面白い思いつきかもしれませんね(^^)何せ、カレンダーという言葉の語源が、ローマで朔日をカレンダエ、すなわち「月を呼んだ日」と言っていたことに由来しているそうですから、やっぱ月、夜かなあ、と思いますね。これはいつもの『暦と占いの科学』(永田久、新潮選書)に載っています。永田先生、いつもお世話になってます(^^)
閑話休題☆
まあ、とにかく、大晦日の日にはどうも夜は寝なかったようで、そのためかどうか、江戸時代には元旦の夜に見る夢を初夢と指すようになったようです。
そして、さらにさらに、すべての事始めが正月2日、ってなことがあったために、夢の見始めも二日にしとこうや、となったようで、二日の夜の夢を初夢とすることになったらしい…(^^;;実にいい加減;;まあ、歴史、伝説、神話の類をやっていると、人間様のこの手のいい加減さは枚挙に暇がないですけどね;;
もっとも、いい加減さ故のいい加減さなわけじゃなくて、どれもこれも、真剣に幸せになりたいという上昇志向に後押しされたもののようで、一生懸命生きている人の歴史ってのが面白かったりもします(^^;
要するに、結論☆
大晦日に見る夢も、元旦に見る夢も、正月二日に見る夢も、節分に見る夢も、どれもみ〜んなホントの初夢、ってことなんじゃないでしょうか?;;
てなわけで、一番いい夢を見た日を自分の初夢、ってことにしちゃってはどうでしょう?(^^;;
最悪の場合、節分まで持ち越せます?
で☆
どうせ初夢を見るのならいい夢を見た方がいいに決まっています。
昔の人は、どうすればよい初夢を見られるか、ってことにやっぱり心血を注いで、真剣に取り組んでいるんですねえ。
その智恵をちょいと覗いてみますと、やっぱりいいのは宝船。
宝船といえば、宝物と七福神をのせ、丸に宝の字の帆をはった姿が定番ですね。
で、そこにおまじないが書いてある。
「なかきよのとおのねふりのみなめさめ、なみのりふねのおとのよきかな」
(長き夜の遠の眠りの皆、目覚め、波乗り船の音の良きかな)
御存知の方も多いでしょう。ご年輩の方なら、おなじみかもしれません(^^)
これ、回文なんですよね。すごい見事な回文です☆
これを宝船の絵に書いて枕の下に敷いて寝るとよい初夢を見られると昔の人は言い伝えたわけです。
上から読んでも下から読んでも同じ、という言葉の不思議さに昔の人は魔術的なものを見たんでしょうか。
昔はその絵の版画を売り歩く宝船売りがいて、それが正月の風物詩だったといいます。
この宝船も、中世では米俵だけを積んだ船の絵でして、除夜の夜、枕の下に敷いて悪い夢を見た時はこの絵を水に流したといいます。宝船が悪夢を連れていってくれると思ったのでしょうね。日本人は昔から何でもよく川や海に流す人種であります;;…おや、除夜の夜に敷いたのか?だったら、中世までには除夜に徹夜をするという習慣はなくなっていたということか?……資料がないので、これ以上、調べられませんが、この疑問はまたいづれ、ということで(^^;;ううううん、私も実にいい加減(- -;;御存知の方は是非教えてください☆(って、自分で調べようという気はないのかっ;)
で(^-^;;宮中では船の帆に「獏」の字を書いたそうです。こちらは、悪夢を獏に食べさせようというアイデアで、よい運を得ようという、いろいろな工夫が見られるエピソードでございます☆
さて、2000年の初夢、どんな夢でしたでしょうか?(^^)
ある時、ある人からあるメールが来た、と思いねえ(^^;;
円目王って知ってますか?というメールだったんだな、これが。
つぶらめのおう??つぶらめ?どっかで聞いたことがある…
が、思い出さなかった;;メールの主曰く、「垂仁天皇の子供」だそうで「令集解」に出てくるそうな。
「円目王って片目だそうで…」
片目っ?!最近どうも片目伝説収集家のようになってきている私にはこの話はぴくぴく物でしたねえ(*^^*)
おまけに「荒魂になった雄略を鎮めた」って何っ?!
私は雄略天皇に実は興味ある。これは知りたいぞ☆
この時、ちょうど私はというと、出石人について調べてる真っ最中で、令集解を図書館に調べに行った時、ついでに天日矛についての本を借りてきたんだな。
出石人と書いて「いずしびと」と読む、らしい。
実は、火について調べている時に辞書で見たんだな。で、何だ?出石人って?と疑問符が飛んだわけです。出石…出雲と字面が似てるってことに気づき、確かに読みも「いずし」と「いずも」。
大国主が初恋の人だった身としては(桃太郎とどっちが早かったかは定かではない(−−;;絵本の挿絵の大国主がハンサムだったんだよう;;;;)、やっぱり気になるじゃないですか〜
で、辞書をよく見ると、豊葦原のシコヲの名前がすぐそばにあるじゃないかっ!
なんと石出人の祖、天日矛は豊葦原のシコヲと相争ったと書いてある。
豊葦原のシコヲってのは大国主の別名ね。醜男と書くんだよっ;;美男子だって古事記には書いてあるのに〜許せない〜(←意味不明;;)。
で、天日矛、アメノヒボコって読むんですが…あれ、ホコって?タリシホコって確かいたような…
アメノタリシホコ…そう、自らを「日出処の天子」と名乗った、あの王です☆(←突っ込み来る前に言っておきますが(^^;;リンク先には「タリシヒコ」としか書いてませんが;;写本によって「比孤」と「北孤」とあって、前者「ヒコ」で後者「ホコ」なんですよ;;だから、タリシホコでもOKなわけで・・・って力いっぱい苦しいやん(^^;;)
アメノヒボコとアメノタリシホコ…オキナガタラシヒメ…オキナガタラシヒメ=神功皇后ですが、実はアメノヒボコの末裔にあたるんです…
で、このアメノヒボコが来日したのが垂仁三年春三月のこと…やあ、つながりましたねって;;;
つなげてどうする(^^;;
とりあえず「令集解」を図書館で探す。が、四巻もある。全部漢文で、四冊完読はかなりきついなあ;;で、人名辞典で「円目王」を調べる。垂仁天皇の庶子、としか書いてない;;それは知ってる(^^;;うううむ、万事休すだなあ;;
もうちょっと待っててね、メールくれたBAKUさん;;