〜材木置き場〜 オーディンの森

化石の肋の向こう側             材木置き場に戻る

 

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ガルブレイズは責任を感じてくれたのだろう、保釈金を出してくれて、二人は釈放された。
「朝の諍いなんて動機とは言えんからな」
とガーシュイン。
「仕事のうちだもんな」
とゴドーは賛成した。それに、と言う。
「あの女も証言してくれたらしいぜ」
「電話してたってか?」
「ああ。マクガバンがそう言ってた。命の恩人だぜ」
「だが、あの女が電話してこなけりゃ巻き込まれることもなかったんだ」
「なら、プラスマイナスゼロってことで」
ゴドーは苦笑いしながら言ったが、当然だ、とガーシュインは笑いもせずに言った。事務所のドアに鍵を差し込む。が、鍵はかかっていなかった。ゴドーが低く口笛を吹く。ガーシュインはあわててドアを開けると、事務所の中はまるで大嵐が吹きすぎた後のように本棚も机の引き出しもひっくり返されていた。畜生、と吐き捨ててガーシュインは部屋の中央に据えられた大きな机へと急いで回りこみパソコンを立ち上げた。
「どう?」
とゴドー。
「…パソコンはいじられてないみたいだ」
「じゃあ、探し物はデータじゃなく、物か」
「事務所の鍵を作れそうな奴は誰だ?」
「ミスターボールドウィン」
「それだ」
ガーシュインはすぐに電話をかける。ツーコールも待たないうちに、
「はい、こちらボールドウィン探偵事務所」
陽気な声が耳元に響いた。
「ガーシュインだ」
「よお、ジョシュ」
「俺の事務所が荒らされた。あんたの仕業か?」
ボールドウィンはすぐに事態を把握したようだった。陽気な口調はすぐになりを潜め、
「それは俺の仕事じゃないな。調べてやろうか?五日あったらやった奴と依頼人調べられるぜ」
「三日だ」
「…OK、三日でいいさ。謝礼はいつも通りで。…いちいち俺を疑うのはよしてくれよ」
「前科のある奴を信じられるもんか」
悪態を忘れず添えてガーシュインは電話を切った。
「知ってるな」
「犯人を?」
「ああ。五日で依頼人まで調べられると言いやがった」
「で、三日に値切った、と」
「当たり前だ。知ってる情報に五日分も払えるか」
「よく今すぐ教えろと言わなかったな」
「疑ってはずれだったからな。三日分くらいは払ってやるさ」
「お優しいことで」
パソコンがきいきいと音を立てた。メールが来た知らせだった。
「どこから?」
「銀行…入ってねえな」
「何?」
「調査料だよ。ドージャーの親父、保釈金で終わらせるつもりじゃないだろうな。ボールドウィンの支払いもあるんだぜ」
「仕事は終わったんだろう?」
「ガルベスへの融資がなくなった以上、俺達の出る幕はないよ」
「ガルベスが断りの電話をいれたのが夕べか」
「夕べのうちに何かあったんだろうな」
「俺達ともめたことで何か動きがあったのか?それとも、あんたが言うように夢から醒めたか」
「ゴドー、仕事は終わったんだよ」
「でも、事務所を荒らされてるよ?本当に終わるのか?」
「…畜生、ただ働きかっ」
「保釈金は立て替え?」
「調査料から引かれているだろうさ」
「俺の分は?」
「お前の給料から引いとく」
「給料、振り込んでくれたか?今日引き落としがあるんだが」
「今、振り込んだところだ。…何の引き落としだよ?」
「ガス」
「ガスくらい止めとけ。爆発の心配がなくなる」
ゴドーは苦笑いすると、
「俺はあんたと違って料理はするんだ。ガスなしじゃお茶いっぱい飲めやしないじゃないか」
「近くのカフェで飲め」
「経済的じゃないな」
「代わりに働くさ」
言ってガーシュインはふと黙った。パソコンのモニター画面に張りついていた金色の瞳を浮かせると、
「くだらねえ話してるな俺ら」
吐き捨てるように言った。いつもの会話だろうとゴドーはおかしいが言わない。代わりに、
「いらついてるな」
俺はいつでもいらついてるさ、とガーシュインはうそぶいた。ゴドーは気にしない。
「あれは結局、何だったんだろうな」
ガルベスの店での体験のことである。
「俺にもわからんよ」
と相棒はいつもの癖で即答した。ただ、
「気持ち悪かっただけだ」
と白状した。
左ポケットの中に手を入れる。出てきたガーシュインの指先には小さな丸いものがあった。それがあの店で拾った香炉だとゴドーにはすぐわかった。彼は眉をひそめると、
「知らねえぞ」
と警告した。
「殺人現場から持ってきちまうなんて、まるであんたらしくないな。いくらマクガバンだって許しちゃくれないと思うがな」
ガーシュインは指先の香炉を眺めたまま、
「気持ち悪かったからな」
と呟く。
「いいわけになるか」
とゴドーは眉をひそめたまま言った。
「なんだと思う?」
「俺にはわからんよ」
相棒の口ぶりを真似てゴドーは肩をすくめる。
「蓋が取れないんだよな」
とガーシュインはゴドーへと香炉を持った手を伸ばした。
「共犯にするつもりだな」
笑いながらゴドーも手を伸ばす。少し距離が足りなくて、香炉はガーシュインの手を離れ、ゴドーの指をすり抜けて、絨毯の上へと転がり落ちた。ゴドーはあわてて追いかけた。
「スマン、あったか?」
とガーシュイン。
「ああ、あったあった」
とゴドー。机の下で香炉はころころと円を描いて転がっていた。やがてことことと身震いを始める。その瞬間にゴドーが掴んだ。
「しかし、よく転がる香炉だな」
ゴドーは苦笑いしながらようやく床から起き上がった。が、返事はなかった。
「ガーシュイン?」
顔を上げると、ガーシュインが真白な顔をして壁を見つめていた。
「ガーシュイン?」
「気持ちが悪い」
とガーシュイン。
「寝不足か?」
とゴドー。
「おんなじことを言うな」
「同じこと?」
「ガルベスの店でもそう言った」
そうだ。ガルベスの店でもガーシュインは気持ちが悪いと言った。
ゴドーは慌ててあたりを見回した。
壁は微かに揺れていた。微弱な地震があっているかのような、わずかな揺れが壁全体を覆っていた。が、壁にかけられた額はまるで揺れてはいなかった。細波を打つ壁の上に微動だにせず額は浮いているように見えた。
壁の木目は歪み始めていた。歪みは少しずつ大きくなり、少しずつ少しずつ円を描き出している。机の上にあるパソコンが円の中心だった。まるでパンの生地にチョコレートシートを巻き込んでいくようにチョコレート色の壁は丸められ、飴細工のようにゆっくりと伸ばされていく。窓の外から覗く白いビルと青い空と白い雲。部屋の中にある白木の机と白いパソコン。それらが生地だった。白い生地に壁のチョコレート色がマーブル模様を描いていた。さっきまで遠くで聞こえていた車のクラクションの音は急速に遠ざかり、まるで缶詰にされたようにくぐもった響きを帯び、人のうめき声のように変わっていった。
見ると足元では床が転げ落ちそうになるくらい斜めになっていた。斜めというよりそれは丸くマーブル模様に巻き込まれ始めていた。
突然、ゴドーは思いきり香炉を投げた。
壁にあたった、と思った瞬間、回りの風景は猛スピードで逆回転を始め、足元から凄まじい突風が吹き、思わず目を閉じた。すぐにあたりは静かになって、そっと目を開けると、部屋は元通りに戻っていて、遠くにはいつもと変わらぬ街の喧騒が聞こえていた。
「おいっ、」
と声をあげたのはガーシュインだった。
「投げる奴があるかっ」
彼には珍しくあわてて香炉の投げられた壁際へと走り寄る。
「や、気分悪かったし」
とゴドー。香炉はすぐに見つかって、ガーシュインはふうっと溜息をついた。 見ると、壁には小さく窪んだ傷跡があり、香炉はそこに当たって落ちたようだった。が、よく見ると壁のあちこちにいくつか似たような傷跡がある。投げられた時、壁に当たった音がしたのは一度きりで、それは奇妙といえば奇妙であった。
「あのままに一緒にねじくれていたら、」
まだ言い訳をあきらめていなかったゴドーが言った。
「きっとこの前と同じになってたと思うぜ」
「おそらくな」
とガーシュインも賛成する。
もしかしてこれがガルベスの完成させたかったものなのだろうか。そしてそれは完成していたのだろうか。
「これは、もしかして」
ガーシュインは香炉を眺めながら呟く。
「幻覚誘発剤なのかなあ」
「おいっ、」
と今度声をあげたのはゴドーだった。
「ガルベスが作ってたのはタイムマシンだぞ?」
「だからなんだ」 とガーシュイン。
「こんなものがタイムマシンであってたまるか」
確かにゴドーもそれには賛成である。
「タイムマシンってのは乗り物だよな」
「それはウェルズの読みすぎだ」
ガーシュインはそれも否定した。

 

 

「一番大きな問題は、」
とゴドーが言った。
「誰がガルベスを殺したか、だよ。違うか?」
「違うね」
ガーシュインは否定した。
「誰が事務緒を荒らしたかだよ」
二人は並んで歩道の石畳を歩いていた。
「どっちでも犯人は同じだろう?」
「可能性は高いけどな」
大通りに出る。左右を見る。車は二、三台が遠ざかっていくだけだった。信号を無視して二人は急いで一つ目の車道を横切る。見上げるとどれも申し合わせたように四階建ての建物が両脇に立ち並び、その間の道を二人は歩いた。車はついぞ一台も見かけなかった。歩道もなかったが、もう一度大通りを横切るのにもう急ぐ必要すらなかった。
「おそらくは顔見知りの犯行だろうって」
「マクガバンが言ったのか」
「ああ。店の鍵は壊されていなかったし、押し入った形跡もない。鍵を持っていた奴がいたか、鍵を作った奴がいたか、あるいは」
「ガルベスが鍵を開けてやったか」
「そういうことだ。なにより夜中にガルベスが店にいたってことで犯人と待ち合わせをしていた可能性は高いって言ってたぜ」
「動機の目星は?」
「タイムマシンの利権をめぐって、とか?」
「…警察はどう見てるんだよ」
「女性関係」
「だよな」
ガードレールをまたぎながらガーシュインは合点した。
二人はトロリー通り三番地を歩いていた。コートリアアパートメントへ行くのである。
クララ・モリスから電話があったのは昼過ぎだった。彼女は大事な話があるから来てほしいと言った。わざわざ出かけていく義理もなかったが、かといって事務所に招き入れる気にもならず、一度行ったことのある彼女のアパートメントに出向くことにしたのである。
「俺らって貧乏籤だよな」
とゴドー。
「今に始まったことじゃないけどな」
とガーシュインは悪態を忘れなかった。
「なあ、ガーシュイン」
少しだけ考えてからゴドーが言った。
「もしかして、このあいだのあの森は、過去か?」
「百歩譲ってあれがタイムマシンだとしても」
とガーシュイン。
「タイムマシンでは未来にだって行けるんだぜ」
「まあそうだけどさ。あんたの過去ってことはないのかと思ったのさ」
「俺と決まったわけじゃなかろう」
「あんたも知ってるだろ。俺は忘れることはないんだよ。俺の記憶にはない森だった」
ガーシュインは黙った。車が通りすぎる。
「でも、あれは、ポートナムじゃなかった」
「じゃあ、」
言いかけた時だった。たった今通りすぎたばかりの車が急にUターンしたかと思うと、二人目がけてスピードを上げた。咄嗟にガーシュインはゴドーを突き飛ばし自分も道路に転がった。それとほぼ同時だった。車は二人の間に突っ込むと、スピードを上げすぎたのか、ハンドルを取られ、激しくスピンし、そのままガードレールに激突した。大きな衝突の音に立ち並ぶアパートメントから住人達が飛び出してくる。ボンネットが大破したものの、炎上を免れた車はよろよろとバックすると再びスピードを上げ、そのまま走り去っていった。へし折れたガードレールといくつかのガラスの破片が道路に散らばっていたが、そこには誰もいなかった。

 

 

連載五 に続く

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