神話の森
オーディンと北欧神話
北欧神話というと知らない人も多いかもしれませんが、北ヨーロッパを中心に広がる地域の神話、早い話がヴァイキング達が信じていた神々だと考えていただいていいと思います。
このHPのタイトル、オーディンは北欧神話の主神の名前から取りました。
で、「私のHPは”オーディンの森”だっ」と言ったら、側にいた子供が「何て?」もう一人の子供が「ぼく、わかった!」賢いやんっ、と思ったら、「おでんのもり!」・。・
面倒だったら「おでん」と読んでやってください…
さて、そのオーディンと北欧神話。
どっちを先に説明しようっ。どちらも長くなりそうなので、手っ取り早くオーディンについての説明をまずしておきましょうね。
もともとオーディン神は嵐を神格化したものに過ぎなかったようです。
ゲルマンでは広く、嵐の夜には死者の霊魂が轟きをあげて通り過ぎていくのだ、と信じられていました。それは「怒り狂った軍団」であり「亡霊の狩猟団」でした。そして、長い年月の果てにこの軍団に頭目の存在が想定されるようになるのです。これがオーディンの原形であったろうと言われています。
というのもこの頭目に奉られた名は「ゲルマン人たちのどの言語でも激怒とか熱狂とかを表している語(現代ドイツ語では《荒れ狂う》という意味」の言葉から「派生したもので、人々は彼をウォーデとよんでいた」(『ゲルマン、ケルトの神話』トンヌラ、みすず書房より引用)からでした。
わからなかったら飛ばしちゃってかまわないんですが、オーディンのゲルマン祖語形wodanazは古い集合名称から派生したものと見られ、つまり、簡単に言っちゃえば、オーディンという名の原形が軍団そのものの名称から来ているといわれているんです。よーするに、複数を差していたということですね。オーディンという言葉も元々「激怒する者」を意味するというし、古い史料にも「ウォーダン、すなわちfuror(狂乱、熱狂)なり」と記されていて、語源はどれも一致しています。
つまりっ!
元は自然現象の神格化であったオーディン神は人間の心の状態をも象徴するようになっていくのです。
「空の風あるいは嵐と、精神的高ぶりつまり人間あるいは神の心中の嵐との間に密接な一致が支配するという考えの中にあって」(『古代北欧の宗教と神話』ストレム、人文書院より引用)オーディンは神としての神格を上昇させていったわけです。
私が知らないだけかもしれませんが、おそらく人間の精神状態を神格化した神様って他にいないんじゃないですかねえ・・・(いたらごめん・・・教えてください;)→スミマセン、私が知らないだけでした;;STILLさんよりギリシア神話のエロスやタナトス、クロノスがそうではないかという指摘をいただきました。というわけで訂正してお詫びします!STILLさん、ありがとうっ!まだいるんじゃないか?気づいた人は御連絡をっ!
とにかく私はオーディンが好きです。
同じ北欧神話でもメフィストフェレスの役を担うロキ神の方が人気は高いのですが、私は誰がなんといってもオーディンだっ。
わがまま勝手にオーディンについてもう少しお話していきたいと思います。
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オーディンは片目です。
片目のいわれについては、ミミールの泉にまつわる話が伝わっています。
ミミールの泉とはその水を飲むと智恵が備わるという泉です。
この泉の水を一杯所望したオーディンに対して、ミミールはその謝礼として彼の片目を要求し、オーディンはその場で片目をえぐり、その取引に応じたと言われています。
片目であるということが特別の意味を持つことは御存知の方も多いかもしれません。詳しくは「片目をめぐる神話について、あるいは片足、片手」をご覧下さい。
古い本ですが、オーディンの目について太陽と月であると解釈されているものがあります(『北欧神話の口承』植田敏郎、鷺の宮書房)が、これは私にはとても面白い解釈です。
玉座にのぼり、全世界を見透かすことができるといわれているオーディンの片目はなるほど太陽であるかもしれませんし、もう一つの目は確かにもう片方より暗いわけです。
また、「ミミールは毎朝のように、戦死の父の担保から密酒を飲む」(『エッダ』新潮社)という詩の文句をこの書物の筆者植田敏郎氏は、ミミールが泉の水を飲む角杯が三日月をさしている、と解釈されていて、これも大変面白いです。
この説に従うとすると、何やら日本神話を思い出しませんか?
イザナギが左目を洗うとアマテラスが、右目を洗うとツキヨミが生まれたという伝承と実によく符合しているのです。
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これはあるいは「歴史の小舟」でやった方がいいのではないかとも思うのですが、片目にまつわる伝承ということであえて「神話の森」で取り上げてみました。
時は鎌倉時代、建久六年大仏供養の際、頼朝に降参し、和田義盛に預けられ、ついで八田知家方に預けられた翌年に自ら死を選んだ平家の侍大将悪七兵衛景清を御存知でしょうか。
実は私は知らなかったのですが、昔からかなりの有名人だそうで諸国の口碑伝説に広く知られ、為朝、義経と同様に民間文芸の英雄の一人なのだそうです。ちょうど片目について調べていた時で、辞書で見つけた私は驚いて「景清って片目だったんだって!」と家人に言ったら「知ってるよ」と口々に言われました。要するに知らなかったのは私だけだったんだな;くそっ。
「長門本平家物語」に出てくるのをはじめ、謡曲「景清」や舞の本「かげきよ」、古浄瑠璃「日向景清」など、そのものずばりのタイトルのものも多く、これらではいづれも景清は目をえぐって盲目となって生き長らえ、日向の宮崎で勾当となって一生を送ったと語られます。この場合、勾当は盲人の官名で、検校の下に位置するものだと思います。
この話、地元宮崎ではどう伝えられているかというと、生目八幡(いけめはちまん)の縁起として語られているそうです。あちらこちらにその遺跡や持仏と伝えられているものもあるとか。これはおそらく琵琶法師達によって伝えられたものではないかということで、実際に行って調べたわけではありませんが、もし宮崎の方で御存知の方がおいででしたら、是非レポートしてください。
謡曲「景清」などで、娘の名前を”人丸”といい、彼女が父親を訪ねてはるばる日向に下り、盲目の父と対面することになっているそうで、なにやらオイディプスを思い出させるような気も。まあ、そう似ているわけでもないですが。このストーリーについてはあまりよく知らないので、ほとんど辞書の受け売りになってスミマセン。以下、受け売りを続けます。
宮崎をはじめ、九州各地に人丸の墓や遺跡があり、景清と結びつけて語られる、と辞書は言います。私は九州在住だが知らないぞ・・・と思ったら、家人はみんな知っていました。くそっ。
人丸は下野などでは一つ目の神の名として知られているそうです。”人丸”という名自体、おそらく「一つの丸」で片目を意味するのだと想像できますが、人丸と景清との関係をもともと片目の神と司霊者との関係であったと考えられると辞書にあります。してみると、この場合、神が人丸で、司霊者が景清ということになるのでしょうか。今まで見てきた信仰の形としては仕える者が女性という図式があまりに多かったので、なんだかこの図式は私には奇異に映ります。
九州には片目の神の信仰は古くからあった、って、ひえ〜、そうだったんだ〜(しつこいようだが私は九州人;)。だったら私がオーディン好きなのもやっぱ根拠のあることで・・・ないない;;
宮崎の景清の碑石を削って飲むと眼病が治ると伝えられてもいるそうです。また、ここのウズラはみな片目であるとも言われ(『半日閑話』蜀山人)、盲目の景清の話の発生以前に片目神の信仰があったらしいのです。
子孫を名乗る家もあちこちにあるらしい。謡曲「大仏供養」などには名剣痣丸をかざすと雲と霧が起こってくるという話があるとか・・・片目、雲、霧、・・・自然現象との関連、・・・やっぱ、オーディン・・・・;;
ここで面白いのはこの名剣伝説が尾張熱田のあたりに分布していることです。熱田といえばヤマトタケルが草薙剣を置いてきたところですよね。草薙剣といえば元の名を天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。その名も何やら曰くありげな。草薙剣は熱田神宮に祀られますが、熱田神宮といえば源頼朝の母は確か熱田神宮大宮司の娘・・・なんでこんなにあちらこちらが符合してしまうのだろう。
この痣丸を持つ者はみな眼病になるので刀は熱田神宮に神宝として献じられた、と伝わっているそうで、この霊剣伝説を伝えたのは熱田神宮に縁のある盲人団だったろう、と辞書にある。盲人団?熱田神宮に縁のある?何だろう?謎は深まるばかりです。この伝説についての私のリサーチはやっと緒に着いたところです。
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ヒッタイトは紀元前1500年頃に繁栄した古代国家です。
ヒッタイトで語られた神話は1906年以後に出土した多数の粘土板によってわずかながら現代に伝わりました。解読してくれたヴィンクラー、ならびにフロズニに感謝。
で、この粘土板の中に刻まれた神話物語の中に嵐の神が出てくるんですよ。嵐の神は龍神イルルヤンカシュと仲が悪く、嵐の神はこの龍神に心臓と目玉を奪われてしまったというんです。
それで嵐の神は一計を案じた。人間の女性と結婚し、男の子を生ませます。そして彼が成人するのを待って(気の長いやっちゃなー)、息子を龍神イルルヤンカシュの娘と結婚させてしまうんです。そして、嵐の神は息子に、かつて奪われた心臓と目玉について妻に訊かせ、まんまとこれを取り戻してしまうのです。
こうして嵐の神は元通りの体となって、ふたたび両者は対決します。結局、イルルヤンカシュは嵐の神に殺されてしまうのですが、同時に龍神の娘婿となっていた我が子をも殺してしまうのでした、というお話です。
お気づきと思いますが、そう、嵐といえばオーディン、なんですよ。嵐の象徴である神が目玉を取られる。参考にした本が日本語のものですから(当然;)この目玉が複数なのか単数なのかわかりませんが、目玉は取られてしまうわけです。伝承としてはかなり古い起源を持つお話ですから、もしかして、あるいは、ひょっとして、この話の流れの先にオーディンの片目の話があるんじゃないかなー、とちょいと思ってしまいました。
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オーディンの肩にはいつも二羽のワタリガラスが止まっています。二羽の鴉は一方がフギン(思考)、他方がムニン(記憶)といい、彼らは早朝飛び立って全世界を飛び回り、朝食の時間には戻ってくる大変お利口な鴉です。そして、彼らの見聞きした事すべてをオーディンの耳元に囁くのです。
この話を初めて読んだのは小学生の時でしたが、「おお、なるほど」と思わずぽんっと膝を叩きたくなるくらいわかりやすい話でしたね。今さら説明の必要もないでしょうが、鴉は思考と記憶の象徴ってわけです。それはすなわちオーディンの思考と記憶を象徴するものでもあり、彼はその日の新しいニュースを朝食のテーブルについた時には全て知っているという恐るべき知の神としての側面をこの鴉たちが支えているというわけです。
オーディンの知への貪欲さは片目を失ったエピソードに限らず、神話のあちこちに見え隠れします。
また、オーディンを象徴する鳥が鴉であるというのは、オーディンの軍神としての職能によるものでしょう。戦場に死肉を狙って集まる鴉がイメージされたのは当然というものです。
さて、鴉の話をしましょう。
この鴉という鳥は北欧神話だけでなく、ケルト神話にも登場します。
戦いの三女神モリガン、ヴァハ、バウヴは(しばしば同一視されます)、彼女達は鴉の姿をして戦場を飛び回ると言われています。モリガンについてはそう書かれている箇所を本で見つけてないんですが、ヴァハは「鴉」の意味を持っているし、バウヴはバウヴ・カファ=戦場の鴉と呼ばれます。三人は戦死した者の首を餌食とする怖ろしい女神ですが、そのイメージは北欧神話の女神フレイヤやヴァルキューレと重なります。北欧とケルトはこの点、実に似ています。
また、同じケルトでもウェールズに伝わる神話の中にも「ブラーン」という鴉を意味する言葉を名にもつ人物が登場するそうです。
しかし、ケルトでもっとも鴉に近い男、と言えば(大袈裟だな;誰もそんなことは言ってませんからお間違いなく。言ってるのは私だけです)、ルーグでしょう。
十五年くらい前に読んだ吉田敦彦氏の本で、氏はルーグが鴉に関係ありと見て、ルーグという名に鴉の意味があれば証拠となるが今のところない、と書いておられたと記憶していますが、平成九年発行の『ケルトの神話』(グリーン、丸善ブックス)にはゴール語のルゴスは「ワタリガラス」の意味らしいと書かれていて、吉田氏の説は認められたということなんでしょうかね。
鴉にまつわる神話といえば日本にもありますよね。神武東征の時のヤタガラスです。かつて日本にも鴉を神の使いとする信仰があったわけです。ヤタカラスについてはもっと調べてみたいので、また改めて触れることになると思うのですが、ここで駄洒落的な符合を披露しておきましょう。
神武天皇が東征で苦戦している折り、紀伊の熊野村で熊に出会ってから急に気分が悪くなって、軍勢も皆ばたばたと倒れてしまいます。その時、熊野の高倉下(たかくらじ)という者が剣を捧げて現れて、みんな正気づきます。まるで眠り姫のような話ですが、この不思議な剣にまつわる話に続き、神が「ヤタガラス」を使わすのです。
熊野では古来、鴉は神の使いで、熊野牛王という護符には鴉が図案化して描かれている、と『広辞苑』には載っています。
そして、熊野の「くま」という言葉ですが、普通は「くま」は「影」を意味しますよね。甲類乙類の区別とかがよくつかないんでてんででたらめだったらスミマセンが、つまり、太陽のあたる所の後ろ側、影になった所、という意味がある。隈取りとか、目の下のくま、ていうでしょう。あの「くま」です。
「古事記」を読んだ方なら思い出されるでしょうが、この高倉下が出てくる直前に、神武天皇の兄、五瀬命が重傷を負いますが、この時に、自分達がこんなに大敗を喫したのは日の神の御子である我々が日に向かって戦ったからだ、これからは日を背に戦おう、と言うくだりがあります。
で、南の方をぐるりと回って彼らは日を背にして戦おうとするのですが、その後にたどり着いた熊野の地はまさに日を背にした土地であり、まさに「くま」の地であったわけですよねえ。
そしてそして、太陽の中には三本足の鴉がいると信じられていましたから、そう、太陽と鴉がここでつながるわけです。
あくまでも符合ですので、信じないように。でも、ちょっと面白いでしょう?
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上の章でも述べたように古代、日本では太陽の中には三本足の鴉がいると言われていました。オーディンからは少し離れてしまいますが、今少し鴉と太陽にまつわる神話を探してみます。
韓国には延烏郎(ヨノオラン)と細烏女(セオニョ)という夫婦が出てくる話があります。年号まではっきりしていて157年の出来事だというのですが、二人はなんと日本に行って王様となってしまうのです。
二人が去った新羅では太陽と月の光が消え失せ、予言者が太陽と月の精が日本に行ってしまったせいだと言い、妻が織った布を祀ると元通りになった、という、かいつまんで言えばそういうお話です。実際に鴉は出てこないのですが、二人そろって名前に烏という文字が入っているのが暗示的で面白いです。韓国には太陽と月になった兄妹の話もありますが、鴉は出てこないのでここでは扱いません。そのうち、太陽と月の神話もやろうと思ってますので、その時に改めて触れることにしますね。
しかし、日本に行くというあたり、この国が日という字を持つということと何か関係があるのかどうか。別に太陽とは関係ない話でも日本に行く話があるので一概にそうとも言い切れないのでしょうが。確かスサノオノミコトは韓国から来たという話が日本書紀に載っていましたよね。
さて、次は中国。太陽の中に鴉がいるとも、鴉の背に太陽が乗っているとも言います。
また太陽は十個あって、それが代わる代わる出るのだという話もあって、これは十個とも十二ともいい、数は一定していないようですね。
ある時、この十個の太陽が一度に昇った時があって地上に大被害を及ぼします。これを弓の名人が射て、九個までに命中させ、太陽の中の鴉は皆死んでしまった、という話も面白いですが、これは一体何を暗示しているのでしょう。
太陽の中の三本足の鴉が不老の薬草を食べるのを太陽の御者が止めようと鴉の目を手で覆うのだが、いつも失敗してしまう、という話もあって実に面白いです。
鴉と太陽の関係については、明け方と夕暮れに啼き騒ぐ鴉の習性からイメージされたものだという説や、太陽の中の黒点を鴉と見立てたのではないか、という説は・・・どっかで見たのか、自分ででっち上げたのか忘れてしまいました;御存知の方、教えてください。確か見たのだと思うが。
まあ、その二つの説明で鴉というのはわからないでもありません。だが、どうして三本足なのでしょう?この謎が実はずうっと解けない。本にも触れてあるものはないし。あるいは当たり前の理由があって、それで誰も触れないのかなあとも思うのですが、私にはわかりません。←ふっふっふ、私は見つけたっ、このいわれをっ。
さて、太陽の中に鴉。月には?ウサギというのが最近の答えでしょうが、古代では蛙です。この話もいづれ月の神話の時にしますので、お楽しみに。
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古代では太陽の中に三本足の鴉がいる、と信じられていたという話を上の章でしたわけですが、鴉はわからんでもない(わからない人は上を見てね)、だが、何故、三本足なんだ?それがわからない、とわめきました。
が、み〜つけた、みーつけた♪ 三本足のいわれが書いてある本、みつけましたよ〜 その名も『中国占星術の世界』(橋本敬造、東方書店)。
中国でも太陽に同様な言い伝えがあることも御紹介しましたが、この本では鴉を黒点であるとしています。ガリレオ以前、中国ではとっくの昔に黒点はその存在を知られていたというわけです。
でっ、三本という数字は「太陽が陽の類型に属するから、(足の)数は奇数」である、とこの本は書いています。つまり、この不可解な三という数字は陰陽の考え方に起因していたというわけです。長年の謎が一気に解けてしまいまして、ちょっと興奮しているところです。
けいじばんでSTILLさんに御指摘いただいたようにギリシア神話でも太陽神アポロンの使いは鴉で(ごめんなさい、まだ文献で確認していないです)、洋の東西を問わず、太陽と鴉は結びついていて、してみると黒点の存在はルネサンス期を待たずに古代人は知っていた、ということでしょうか?
西洋の鴉が三本足という話は聞きませんから、やはりそれは東洋特有の陰陽の思想が反映されていたということで落ち着くのでしょうか。
また新たな展開があるかもしれませんが、今のところはこの辺で納得しておくことにします。
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