オーディンの森

神話の森

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☆北欧神話における天地創造〜両性具有

北欧の天地創造についても少し触れておきましょう。北欧世界を理解しやすくなると思います。
北欧神話を今に伝える散文詩の一つ「巫女の予言」の初めを次のように語っています。

 まだ何もない、
   大むかしのことだった。
   砂もないし、海もなく、
   下の地もなく、
   上の天もなかった。
   底なしのさけめだけで、
   草もはえていなかった。
       「日本の神話・世界の神話」(実業之日本社)より引用

この底なしの裂け目を”ギンヌンガ・ガップ”といいます。”この世”はまだ存在しなかったのですが、ギンヌンガ・ガップの北側には、大地が作られる何代も前にできたという、重い氷と霜で覆われたニフルヘイムの世界がありました;;南にはそれよりも早く、一番最初にできたという、炎の燃えさかるムスペルヘイムが存在したのだそうです・・・つまり、”この世”という概念はあくまでも”この”世なのであって、あの世はあったのかもしれない、という実に狭義の意味での天地創造だと言っていいでしょう。そして、この二つの国があってこそ”この世”は生まれることができるのです。
どこで読んだのか忘れてしまいましたが、一説に両者を創造したのはフィンブルティールという世界霊であるという話もあるようですが、このフィンブルティールFimbultyrは「偉大で崇高な神」の意で、多くはオーディンを指すと解釈されているので、ええっと、どういうことになるんでしょう?
これを神話にありがちな混乱と見るか、あるいは、オーディン以前の信仰の名残と見るかは私にはわかりませんが、しかし、北欧神話を知っている方にはフィンブルティールにtyrが含まれているのが気になるところではないでしょうか?
御存知ない方のために説明しますと、tyrという名を持つ神が他にいるのですよ。これが
☆片目をめぐる神話について、あるいは片足、片手の中でも触れました片手の神ティルです。ティル、もしくはチュール、チルと表現されますが、ここではティルで通します。
彼は今に伝わる神話の中ではオーディン率いるアサ神族(アーゼ、あるいはアースとも)の一員で、軍神であり、法と裁判を司る神ですが、かつては主神の座にいたであろうと思われる神なのです。その証拠にtyrという言葉自体が”印欧祖語に遡れる名詞「神」”である、と『ユリイカ』特集 北欧神話(青土社)の中の「エッダ神話小辞典」で菅原邦城氏は言っています。
ですから、このフィンブルティールのtyrを普通名詞の神と取るか、固有名詞のティルと取るか、で見方は別れるでしょう。
ここではティルについて触れるのはこのくらいにして先を急ぎましょう。
実際には「巫女の予言」の中にはニフルヘイムもムスペルヘイムも出てません。この二つに言及するのは散文詩「ギュルヴィたぶらかし」で、さらにムスペルヘイムには既に住人がいたことになっています。天地創造に先駆けて 存在し、紹介される彼はスルトと言います。彼は天地創造以前からこの世にいたのか、それともたまたま言及されたに過ぎないのかは不明です。火の擬人化とも思えるスルトはこの神話世界の破滅に手を貸しますが、その正体については何も語られていません。
このニフルヘイムの冷気とムスペルヘイムの熱風が互いにぶつかり合い、霜を融かし、霜が雫となって滴り、「熱を送る者の力によって生命を得、人の姿となった」(『エッダ』新潮社)。これが巨人の祖ユミールです。
神話では往々にしてかつて信仰されていた神々がその地位を追われ、凋落して巨人と呼ばれることはありがちですが、さて、このユミールもそうなのでしょうか?
ともあれ北欧世界では神族に先だってまず巨人がこの世に生を受けます。
ユミールを祖として巨人族が増えていき、彼等は霜の巨人と呼ばれることになります。
ユミールの次にやはり雫からアウズフムラという牝牛が生まれます。この牛の父からは四つの川が流れ出ており、これがユミールの主食となるわけですが、この牛の方は塩辛い霜で覆われた石を舐めていました。すると、この石が小さくなるにつれ、中から人間が現れ、三日目には完全にその姿を表します。彼はブリという美男子で、ブリはボルという息子を得ます。ボルは巨人ボルソルンの娘ベストラを娶り、三人の息子をもうけます。さあ、やっとたどり着いたぞ、これがオーディンとヴィリ、ヴェーの三兄弟なのです。
さて、ここでまたちょっとした駄洒落的符合におつきあいいただきましょう。
さて、ユミールとは普通、荒れ狂う者、とか咆哮する者、との意だと書かれていますが、ストレムはこれに両性具有を見ます。
「原初時代の巨人ユミルは、原初人間にして始祖たるヤマとイマの中に、それぞれ古代インドと古代ペルシアの対応を有している。その名は『双子』あるいはむしろ『両性具有者』を意味する。両性具有の原初存在に関する観念は、深い根と広範囲の分布をもっている」(『古代北欧の宗教と神話』ストレム、人文書院)。
確かにユミールは伴侶を必要とはせずに一人きりで一族を増やしていきます。そういう意味では確かに両性具有といえるかもしれません。
さて、タキトゥスの『ゲルマーニア』にもゲルマンの伝承が紹介されています。タキトゥスは古代ローマの歴史家で、ゲルマン人がオーディン達を信じていた、まさにその時代に生きた人なのです。この臨場感はちょっと他とは替えられないものがありますが、彼は言います。
「大地から生まれた神トゥイスコーと、その子マンヌス(マン、「人」)とを種族の始原であり、創建者としてたたえる。そしてこのマンヌスに三人の男子があったとし、」(『ゲルマーニア』タキトゥス 泉井久之助訳、岩波文庫)う〜ん、出てきましたねえ、三人の息子。
”トゥイスコー”って誰でしょう?TuiscoあるいはTuistoと書き表されるこの言葉に神を意味する”Tiuz”を見る説もあるそうですし、また、Tui-がtwi-、zwie-であって、twin、zwei、つまりツイン、とかツヴァイとかの「二」に当たり双生神の意味にとる人もいる、とこの本にあります。
また古ノルウェー語のtuistr(二部分の)や現代ドイツ語のzwitter(両性そなえた人)とも関係がある、と私はメモしているが、何から書き写したのか、忘れました。すみません。
ちなみにTiuz(神)はDiusに一致するとすればやはり神の意味か、と『ゲルマーニア』訳注にあります。これによると、ジュピターの名は「Dius+pater」で「天・父」なのだそうだっ!まあ、これはびっくり。ゼウスもDiusに対応するだろうし、すると、ゼウスの名は天を指し、まるで似てないローマ名ジュピターは「ゼウスの父」つまり、「天の父」となり、キリスト教で言われる「デウス様」はギリシア神話のゼウスと同義になってしまうというわけだな。
閑話休題。
このタキトゥスの取材したこの言い伝えを我々が知っている北欧神話に当てはめてみましょう。あくまでも駄洒落的符合ですから、これに学問的根拠なんてないことをあらかじめお断りしておきましょう。
まずは三人の息子からいきましょう。これをオーディン三兄弟にあてはめることには皆さんにも異存はないことだろうと思います。
とすると、その父マンヌスは当然、ボルということになります。すると、トゥイスコーはブリということになるでしょう。確かにブリがボルを生んだ過程は伝わっていませんし、ブリがユミール同様、両性具有であってもおかしくはないわけです。ブリは一人でボルを生んだのだろうと想像することは許されるのではないでしょうか。
しかし、ボル=マンヌス、つまり、人であるからこそ人たるボルは巨人の娘の手を借りなければ、息子達をこの世に送り出すことはできなかったのだろうと想像することも許されるのではないでしょうか?
さて、どういうわけか、このボルの息子達はユミールを殺してしまいます。 例えばギリシアのゼウスとクロノスのように双方の間に何か原因があってのことなのか、それともユミールを殺すために三兄弟が生まれたためなのか(バルデルの復讐のために生まれて生後一日でその仇を討つヴァーリという例もあるので)、残念ながらその事情は今に伝わっていません。
ギリシアでは初めに愛があり、キリスト教では光があり、北欧では殺しがあった、と谷口幸男氏は『エッダとサガ』(新潮社)の中で比較しています。
天地創造はこのユミールの死体でもって行われるのです。
だが、死体で天地創造するのは何も北欧ばかりじゃない!
話はまだ続きます。乞うご期待。

☆エヌマ・エリシュの天地創造〜シュメール・アッカド神話からはじまる創世、暦、惑星

神話好きで、ギリシア、ゲルマン、キリスト教と渡り歩いていくと、たいてい出会うのがオリエントの神話。「ギルガメシュ叙事詩」とか「エヌマ・エリシュ」という言葉と一度は出会うはず。出会ってない人はこれから出会うはずなんです。じゃあ〜これが何神話なのかというと、私もよくわかりません(^^;;
もともとメソポタミアにいたシュメール人の信仰していたものらしいのですが、ほとんどそのまんまアッカドに借用され、ただし、名前だけがアッカド風に変えられた…とギリシア神話とローマ神話に似た関係にあるそうなんですね。で、出てくる名前がアッカド語なわけで、ここではアッカド神話として紹介することにします。
まあ〜ここらへん、何遍読んでも全然頭に入ってこないからなあ〜(- -;;今回のために改めて読み直してようやく、という感じですから、強者の皆様、びしばし突っ込み入れてくださいませ;;
神話を突っ込んでやってみた人は、一度はティアマトとマルドゥクという名前を目にしたことがあるでしょう。まだの人はこれから目にすることになると思います(^^;覚えておいていいかも。
この話、長いんではしょってしまいますが;;要するに、両者は軍を率いて大戦争をしていたんですね(すごい端折り方だ;;)で、結局、マルドゥクが勝って、ティアマトを引き裂き、心臓を立ち割って、殺してしまうんですね、あ〜こわい;;まあ、マルドゥクの方が正義の味方なんですけども;;殺し方がすごくて;;
で、彼マルドゥクは彼女ティアマトの遺体を元に天地を創造します。
『オリエント神話』(ジョン・グレイ著、森雅子訳 青土社)からその部分を引用させていただきましょう。

主人はティアマトの足を踏みつぶし、
彼の容赦しない石桿で彼女の頭蓋骨を打ち砕いた。
彼が彼女の血の動脈を切断した時……
彼は彼女を貝のように二つに引き裂き、
その半分を掲げ、空として張りめぐらし、
(それに)閂をおろして、護衛たちを配置した。
彼は彼等に命じ、彼女の水が逃げ出さないようにした。

こわいなあ;;で、ティアマトのからだは天と地とに分けられます。
ティアマトの両目がチグリス川とユーフラテス川の源流となったとか。マルドゥクの神殿はバーブ・イル、神の門と呼ばれ、これがバビロンの名の由来になったそうです。
自分の討ち果たした敵の遺体から天地を創造する。北欧神話とよく似ていますよね(^^)
マルドゥクの創造の様をもう少し引用してみます。

彼は天界を四つに分け、その各地区を検分した。
彼はアプスーの地域、ヌディンムドの住まいを方形にした。
主人はアプスーの寸法を測り、
彼はその似姿である「大いなる住まい」を、エシャラとして定めた。
彼は「大いなる住まい」、エシャラを蒼穹として作り、
彼はアヌ、エンリル、エアを彼らの各々の場所に居住させた。
彼は大いなる神々のために根拠地を設け、
彼らの似姿である星を、(十二宮の)星座として定めた。
彼はその各々の地帯を指定することによって一年を定め、
十二の月の各々に三つの星座を掲げた。
天界の図形によって一年の日々を明確にした後、
彼は天界の帯を定めるため、ネビル(木星)の根拠地を設立し、
誰も行き過ぎたり、及ばないことがないようにした。
……彼は月を輝かせ、夜をそれに委ね、
彼はそれを夜の生きものとして任命し、(その形態の変化によって)日々を知らせるようにした。

主神の館が木星だというのはギリシアに通じてますね。十二星座もここで登場していますし、エヌマ・エリシュの記述の中にはさまざまな神話の影を見ることができるような気がします。おなじみ『歴史と占いの科学』(永田久 新潮選書)では木星のマルドゥクの他に、水星には運命と学問の神ネボが、金星には愛と美と豊饒の女神イシュタル、火星には戦争と死の神ネルガル、土星には狩猟と農耕の神エヌルタ、月には月の神シン、太陽には律法と医術の神シャマシュの七神が住み、七が聖数であった、と書いてあります。この神々の配分がそのまま、ギリシア、ローマにまで引き継がれたことは本の記述を引くまでもなく、周知のことですよね(^^)
古代の彫刻に描かれた槍の穂先はマルドゥクのシンボルであると、『オリエント神話』で書かれています。また、マルドゥクはシュメールで信仰されていた嵐の神エンリルの性格を受け継いでいたそうです。
槍・・・嵐・・・(- -)・・・・・・わたし的にはやっぱりここはオーディンとつなげたいのだが・・・;;;;

「ナイル川流域のエジプトが安全を保証されていたのとは異なり、人々は歴史と自然が猛威を振るうであろうという不吉な可能性を常に意識していた。メソポタミアの宗教の中で、その二つの力(歴史と自然)は、破壊者であると同時に保護者でもあった嵐の神エンリルの狂暴さの一表現と見なされていた。それゆえ、前二○世紀のウルの廃墟についての哀歌は、その破壊がエンリルによってもたらされたとしている。」

「(洪水や砂嵐、侵入者などの脅威に曝され続ける)メソポタミアの人々はいきおい現実主義者とならざるを得なかったので、王であるアヌの行政官や神々の会議によって、恩恵と同時に災害ももたらされるであろうことを充分に承知していた。したがって、エンリルは破壊的な嵐の中にいるものとして、またウルの滅亡の時には敵の軍隊に蹂躙されたその廃墟の中にさえいるものとして知られていた。」

このエンリルの性格にオーディンの影を見るのは私だけでしょうか;;
エンリルの性格を受け継ぐマルドゥクによって成された血みどろの決戦の末の天地創造。エッダでは詳細が伝わっていない北欧の天地創造でも同様な戦いが行われたのかもしれないなーというのは今、思いついたことで、どなたもそんなことは言ってません;;悪しからず;;
エヌマ・エリシュが語る創世の話も以下に引用します。

高いところで、天がまだ命名されず、
下の方では、固い大地がまだ名前で呼ばれなかった時、
彼ら(神々)の男親である原初のアプスーと、
彼ら全てを生んだ母なるティアマトだけがいて、
この二つの水は一つの体の中で混り合った。
葦の小屋はまだ作られず、湿地帯もまだ出現していなかった。
神々はいかなる者も存在するには至らず、
名前で呼ばれず、その運命も定められていなかった時、
その時、神々がそれら(二つの水)の中に作られた。
ラフムとラハムが産み出され、彼らの名前で呼ばれた。
彼らが年齢と身長とにおいて成長する前に、
アンシャルとキシャルが作られ、
他の者より(ラフムとラハム)よりも優る者となった。
彼等は日々生命を長らえ、年を積み重ねた。
アヌが彼らの後継者として生まれ、その父のライバルとなった。
まさにアンシャルの第一子であるアヌは、その父と対等となった。
アヌはまた彼と生き写しのヌディンムドを生んだ…。

この水について『オリエント神話』の著者グレイは「各々新鮮な地下水と塩水を表わす活動力に乏しい勢力であり、原初の神々であった。」と書いています。塩と水が創世に関わっている点は北欧と同様と言っていいかもしれません。
ラフムとラハム、アンシャルとキシャルとか、同時に産まれ落ちた、似た名前の二人のきょうだいが双子かっ?!とか、突っ込み入れたいこと山ほどありますが、残念ながら不明にして、今の知識ではこれ以上は先に進めません(^-^;;もっと進むにはもう少し知識が必要ですね☆

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