オーディンの森

神話の森

オーディンへの唱え詞の断片覚書

仕事でクリスマスの起源について調べておりまして。その関係で図書館から借りてきた本の中に『ヨーロッパの神と祭り』(植田重雄、早稲田大学出版部)があったんですね。
目次をみるといきなり「ヴォータン」という文字が目に飛び込んできた。おおおっ、オーディンだ〜(;;)…でも、私ゃ『ヨーロッパの祭り』って本で学習したんだ、ヨーロッパの祭りじゃヴォータンはおどけて鞭で打たれてたりするんだっそうに決まってるんだっ(網〜北欧神話ロキにまつわるエピソード参照)…まあ(^^;;そんなんで大した期待もせず借りてきたんですけどね;;読んでみたら、祭りの起源の多くをゲルマンの異教の習俗にもとめていて、今までに見たことない、オーディン信仰を垣間見ることができまして、ちょっと嬉しい内容だったのでした(*^^*)おまけにですよ。おまけに、「ヴォーダンへの供え物」の唱え詞!!の一部まで引用してあるっ!!初めて見ましたっ(感涙)無茶苦茶嬉しかったですっ!!

「ヴォーダン、ヴォーダン、ヴォーダン
天の巨人は、何が起こるかを知っている
彼はいつも天から見下ろしている」

なんかいい感じ( ̄▼ ̄)(何が?)筆者曰く、「ゲルマン宗教の痕跡は表面上乏しく」「農山村に残っている民謡あるいは唱え詞、子どもの歌などに残ったものから一瞥できる」程度、なのだそうです。
その「一瞥できるものを取り上げて」あります!!無茶嬉しいっ!!

「ヴォーダン、ヴォーダン
あなたの馬の飼料を持ってゆけ
今はあざみといばらだけれど
来年はもっとよい麦を賜れ!

これはヤコブ・グリムが『ドイツ神話学』で採集している唱え詞で、冬の到来に際してヴォーダンに飼料または供え物を捧げるときに歌ったものの断片と考えられる。

ヴォーダン、ヴォーダン、ヴォーダン
天の巨人は何が起こるかを知っている
彼はいつも天から見下ろしている
彼は壷と炒った穂麦をいっぱいにして
樹木の土で何度も成長させる
彼は生まれることも年老いることもない
ヴォーダン、ヴォーダン、ヴォーダン

これはヴォーダン神にたいし次の年の豊穣を願って供え物をささげるときの唱え詞である。」

ちょっと長い引用になりましたが、やっぱグリムは要チェックだあ〜(;;)ま〜ずううっとそう思ってはいたんですけどねえ〜(- -;;全然出会いがなくってですね;;読みたいっ『ドイツ神話学』!!
こういう民間にわずかに残っているゲルマン信仰の断片を知るにはやっぱり現地の人に聞くしかないんでしょうねえ。そう思ってとうとう英会話始めてしまいましたよ私(- -;;ええ、英語できないんですって(涙)夢はチャットで現地の人に断片採集させてもらうこと、っていつになるんだそれ(;;)… …取り乱してしまいました(_ _;;
ええ〜閑話休題。
ここんとこわたし的にはオーディン≒オズ、フレイヤ≒フリッグという考えに取り憑かれていたりしますが、この本もかなりそういう傾向があり、「ヴォーダンは天空の女神フライアとも対(ペア)で考えられている」とまで言いきってあります。そして豊穣の大地母神ホルダ=フライアだとも。そのホルダを歌った詞も多く引用されています。

「野原や森をとおって
角笛がひびく
ホルダがやって来るぞ、フーウー
あなたが愛するもの
あなたがそれだ!」

「トララ、トララ、トララ!
フラウ ホルダ ヴァルディーナがそこにいる!
あなたがたは愛する者を見事に追っている
だが眼で見ようとする者は
ホルダがさらってゆくぞ
トララ!」

「ホップ ホップ ヘーゼルマン!
われらの猫が長靴をはいて
ホラの泉に駆けてった
太陽の中に子どもを見つけた
何という名だろう
キーツルまたはゴァースル…」

最初のが子どもたちの歌、二番目が唱え詞、最後のはオーストリアの民謡だそうです。ホルダは時代が下るとともにホレとも呼ばれるようになり、なんとホレ婆さんになってしまったとか…ホレおばさんってフレイヤだったんだ!とちょっと新鮮な驚き。またホレの語源がHolle「おおう(hullen)や「地下(Hel=Holle)に埋められたもの」という言語学者シュメラーの説も紹介されています。この説には何かしら思うところのある人も多いことでしょう(^^)
オーディンへの唱え詞を読んだ時、刈り取った穂を一束だけ畑に残しておくというかつての習慣を思い出しました…確かオーディンの馬のためだったと…うろ覚え(- -;;馬の本に書いてあったはずなのに…見つからない馬の本(- -;;どこいった(泣)…確認しておきます(。。;;
もっとじっくり読むべき本ですが、とりあえずオーディンへの唱え詞をオーディンの備忘録のようなこのサイトに記録させていただきたいと思います。筆者の植田先生、どうぞお許しを。

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