歴史の小舟

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地名の由来「福岡編」  博多 〜 二つの箱

久々の更新ということもあって、リハビリ兼ねて、地名の由来シリーズをとりあえずやろうかと(^^;;なんでリハビリかというと、資料探す必要がないからなんですね;;もちろん、全部自分の知識とかそういう意味じゃないですよ;;角川日本地名大辞典ってのはあるんですね、ええ、図書館に(^^;;…我が家にあるわけないです、47卷も;;我が家にあるのは地元「福岡県」の分だけです;;;改めてみると、これ、一冊一万近くするんだなあ…よく買ったな母親…私のじゃないです、ええ;;
で、手元にあるし、身近だし、最初はやっぱり地元福岡の地名の由来でいきましょう。
他の県は、図書館で調べてきますんで(^^;;リクエストお受けしますが、まあ、なければ自分が好きなところにアトランダムに行きたいと思います。
そういうわけで。
福岡。
といえば。
博多。
ですかね。福岡という県名よりも全国区で知られているかもしれないですね。博多の方が。
もともと市名を決める時も、福岡と博多で投票した結果、一票差で破れたとい熱い戦いがあったとか。…地名辞典には載ってませんね;;あったらしいですよ;;市政だよりだったか、学校の社会科の資料だかで読んだことある(要するにうろ覚え;;)。
一票差という僅差だったため、市名を福岡に譲り、駅名を博多にしたとかしないとか(これもうろ覚え;;)。JRの駅名と市名が違うのはものすごく珍しいんだということも聞きましたけどね。そういうもんですか?
福岡と博多は違うのか?とはよく言われますが、一般的には、中洲を境に福岡と博多に分かれるてなこともいいます。地元の人以外は知らないですね(爆)言われるんですよ。そうなんですよ(決めつけ)。
そもそも福岡というのは、黒田長政が筑前の領主となり、国入りした際に持ちこんだ名前です。
もといた岡山の地名、福岡をそのまま新しい所領の名としたんですね。この時、城が築かれた場所は福崎。福崎を福岡にしたってわけですね。辞書には慶長6年のこととあります。
要するに、この二つの地名は、同じ土地を指す異なる名前と言っていいと私は思います。武家が持ちこんだ福岡と、地元に育った博多と。同じ土地をそれぞれの言葉の箱に入れていたということでしょうか。考えてみれば、エベレストとチョモランマという名前も同じ山のことですし、誰がどこで使うかによって名前はいくつも存在して当たり前ということなのかもしれませんね。市名決定の際に混乱を引き起こしたのは名前が二つあったからではなく、それぞれを使っていた層の均等化の過程で起きた摩擦のようなもの、といえばかっこいいでしょうか(^^;;
同じ土地を指すはずの言葉が、中洲を境にあっちとこっちと言われるのは、城のあった福岡部と商人の町博多部とに分けられるからじゃないでしょうかね。そういう意味ではそれぞれの箱の中に入ることで変質を遂げているということもまた事実といえると思います。同じものを指す違う言葉が同じ土俵の上に上がったことで棲み分けが行われた、とも…はい、意味不明ですね(^^;;
 で。
博多。
長々能書き垂れましたが;;要するに、古くからの地名は博多だったということになるわけですね(^^;;
福岡市民が博多という地名にこだわった理由はここにあります。いよいよ本題、博多いきましょう。
「はかた」という言葉、漢字見ても意味全然わからないと思いますが;;まずは、辞書を引用しましょう。

中国の史書には覇家台・花旭塔・八角島などとも表記される。

この史書の名前までは記されていないので、どの時代の史書かはわかりませんが、古代では那津と呼ばれていましたから、それ以降の名前ということになりますね。辞書にも、「奈良期から見える地名」とあります。

「続日本紀」天平宝字3年3月24日条によれば、大宰府が博多大津・壱岐(いき)・対馬等の要害に船100艘以上を設置することを述べたことが見える。

と続いてありますね。

博多津は7世紀後半まで所見がある那津(那大津)の機能を継承したものであり、大宰府が警固すべき要害となっていた。

のだそうです。なるほど。
で。
前振り長くてスミマセン(^^;;
で、博多という地名の由来。
諸説あって、もっともよく聞くのが、鳥が羽根をのばしたような地形をしていたことから「羽形」ではないかという説です。もとは「はねがた」と呼んでいたものでしょうか?それが訛って「はかた」に?
その他に、「人や物産が多く集まり、土地が広博であるとの解釈から来た説」や、「元来は『筥多』であり、『筥』とは周囲を河海で囲まれた島状の地形をいうところから来たとする説、船舶が停泊する潟に由来する説などがある」と辞書にあります。波形だとかいうのも聞いたことあるような…
実は個人的にはなんだか今一つぴんと来ていないんですがね(^^;;
中国の史書にある「八角島」などの方がなんだか納得いくような;;でも、これを新説とするには古地図が必要でしょうね;;昔の博多がホントに八角形の島だったら面白いのにな(^^;;

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地名の由来「福岡編」 太宰府 〜 起源の謎

地名の由来、福岡県編でございます。
博多の次に全国区の地名といえば、太宰府、でしょうか。
太宰府か大宰府か、悩むところですが、現在正式名称としては太宰府となっています……どこが違うかわからない?「大」か「太」か、なんですよね。もともとは「大」宰府でした。点がなかったんですね。「大宰府」、古くは「オホミコトノツカサ」とよんだと『角川日本地名大辞典』にあります。で、なんで「太」宰府になったかといえば「時代の推移」とのみ辞典にはあります(^^;;なんだ時代の推移って;;
で。
大宰府って何だ?といえば、古代律令制の一端を担った政庁だったんですね、ってなことは御存知ですね(^^;;有名な話だし;;政庁跡は都府楼跡といわれる国の特別史跡ですね。子供の頃、変な名前だなあーっ、としみじみ思ってましたねえ…ねえ、豆腐と外郎の合いの子みたいじゃないですか。
閑話休題。
当初は役所のある周辺、太宰府市あたりを指していたようですが、「律令制的支配がしだいに変質していく11世紀以降、地名に転訛していった」そうですな。辞典曰く。さすが詳しい。
「大」を略した宰府という形もたびたび使われていたようです。
平安期には西の府ということで「西府」とも呼ばれたようですが、これ、もしかして「宰府」と音が一緒なんですかね?
登場する史料も数多ありまして、大変有名な太宰府なんですが。
いつ頃、政庁が設置されたかといえば、実は謎なんですね。記録がないんです。不思議でしょ?
西府と言われるほどの機関の設置の記録がないというのは確かに奇妙な話なんですよね。
これをもって、大宰府は九州王権が築いたのだ、という話も読んだことがありますが、荒唐無稽というには余りに説得力あるような気がしないでもありません(^^)
まあ、それ言ったら、「日出処の天子…」の書面を聖徳太子が隋に送ったという記録も残ってないんですけどね(^^;;(歴史の小舟「日出る処の天子は誰?」参照)。一般に認知されている「日本史」と呼ばれるものは存外、「かもしれない」事実でできあがっているといえるかもしれません。かといって、それが九州王権の存在証明にもならないんですけども☆まあ、そこんとこは痛み分けってことで(^^)(意味不明)。
そういうわけです。
だから、太宰府は太宰府があったから太宰府というわけで…(^^;;地名の由来というタイトルが泣くような答えだなあ;;;
ちなみに明治11年までは地名は宰府だったようで…その直後に太宰府と決まったみたいですが…地名としての歴史自体は割と新しいというのも意外な気がします。

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