歴史の小舟

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坂本龍馬暗殺犯の真犯人は誰か?

相変わらず根強い人気を誇る歴史上の人物、坂本龍馬ですが。 
龍馬暗殺犯は誰かって話題を最近またよく聞くようになりまして。
昔むかし、ここでも坂本龍馬暗殺犯で一度取り上げましたが。
2010年には大河で取り上げられ、これが高視聴率を上げ、一大ブームを巻き起こしましたから、また話題となることが増えてきたのでしょうね。
先の記事で話題にした薩摩首謀者説の新聞記事、その後の展開に期待していたのですが、その後、特に動きはなかったようで(汗)
どうも活字化もされていないようですね;;何やったんや新聞記事;;

そういうわけで、ここでは改めて定説をきちんとご紹介しておきたいと思います。
前も書いた通り、見廻組が犯人というのが定説です。
明治政府も公式にそう認めて裁判して刑まで確定しています。
とりあえず手元にある資料から参考箇所、引用していきましょうか。
資料は子母沢寛の「新選組始末記」(角川文庫)。
子母沢氏の新選組三部作は有名ですが、私が持っているものは実はその三部作を一つにまとめた本になるので、三部作をそれぞれお持ちの方の本とは若干、内容違うかもしれません。そこは悪しからずご了承くださいませ。
どうでもいい情報なんですけども、これ古本屋で買ったんですよ。学生の頃でお金がなかったんですね(^^;;
昭和48年出版だし。
最初から古かった上に面白かったものだから繰り返し読んでもうぼろぼろですよ;; で。
龍馬なのに、なんで新選組の本かといえば。
単に私が龍馬ファンじゃないので、龍馬本をそろえてないだけなんです;;
私は佐幕派なんで幕末の本はほぼ幕府側のものしか買ってないんです。
でも、新選組は龍馬暗殺犯の疑いを長らくかけられていたので、新選組本に結構、龍馬の資料出てくるんですよ。いかに関係ないかって話と(笑)、疑いをかけられたせいでいかに迷惑したかという話の中で出てきます(笑)
それで自然と佐幕派の自分も龍馬は詳しくなっちゃいました。
閑話休題。
この本に何が載っているかといえばですね。
まずは龍馬の最期の様子です。
以下、引用です。少々長いです。


刺客ははじめ僕の藤吉を斬ったこの時中岡と話していた竜馬(原文ママ)は「ホタエナ」(土佐の方言で、騒ぐなの意)と、何かふざけているのだろうと思ってこれを叱りつけその言葉の終るや終らぬに、二人の刺客が、一人は「コナクソ」と叫び、中岡の後頭部に斬り付け、一人は竜馬の前額部を深く一太刀払った。脳漿が流れ出るほどの深手である。竜馬は身を退いて床の間に置いてあった刀(西郷吉之助より贈られたもので、吉行二尺二寸二分)を取ろうとして、後ろ向きになり、二太刀深く右肩から左の背骨に掛け、大袈裟に浴びせられた。しかし竜馬とて北辰一刀流は皆伝に及んでいる。屈せず刺客に立ち向ったが、刀を抜くに暇無く、三の太刀を鞘のままで受け止めた。敵の鋭い太刀は、竜馬の太刀先から六寸ばかりのところを、鞘越しに刀身三寸余を鉛のように削って、余勢は流れて深く竜馬の前額を鉢巻なりに薙いでしまった。
「石川、石川、刀はないか」
と、悲痛の声をあげて斃れたのである。いうまでもなく石川は中岡の変名(石川清之助といっていた)、坂本も才谷梅太郎といっていた。この時竜馬の刀の鐺(こじり)が京都風に低くなっている天井を突き破ったところから見て、いかにその壮烈なものであたかがわかる。
中岡も刀は屏風の後ろに置いたので、短刀で立ち向ったが、全身に十一か所の深手浅手。刺客は「もうよい、もうよい」と、大きな声を出して笑いながら去った。
その後に、竜馬も中岡も蘇生し、竜馬は行燈のところににじり寄って刀を抜いてこれを照らし、
「残念、残念」
と二言いい、中岡をふり返って、
「慎太慎太、どうした、手が利くか」
中岡が、
「手が利かぬ」
というと、竜馬はよろめきながら行燈をさげて、次の六畳(斬られた室は二階八畳二室、六畳二室のうち一番奥の八畳)へ出て、手摺のところから、大きな声で階下にむかって、
「新助、医者を呼べ」
と命じ、
「慎太、僕は脳をやられたから、とても駄目だ」
という言葉が最後であった。新助はこの宿の主人で、任侠な人物であった。この変事を知り、妻子には蒲団をかぶせて隠し、自分は裏手から裏寺町を走って、近くの蛸薬師小路から、土州邸へ駈けつけて急を報じた。
中岡は一日存命。出血多量のため、十七日八ツ時頃(午後一時から二時)静かに絶命した。この急報により、陸援隊本部から駈けつけた田中光顕が、中岡の枕頭にあって、その語るところを長い帳面に筆記したが、刀を手許に置かないのは不覚であった、早くやらぬと(勤皇倒幕)反対にやられるぞ、坂本といい自分まで咄嗟の間にかようにやられたところを見れば、賊はよほどの武辺者のようである、因循怯懦と嘲った幕士中にもこんな思い切った事を断行する刺客がある、注意しなくてはいけないなどと、断片的に語った。
田中(当時顕助)は中岡の耳に口を寄せ、
「長州の井上聞多(後の馨侯爵)はあんなに全身膾のごとく斬られても助かりました。先生、力を落としてはいけません」
といったが、中岡は自ら死期を悟るもののごとくであったという。(当時の竜馬の刀および遭難の室にあった掛図に血痕点々たるものは、いずれも、後嗣坂本弥太郎氏が所蔵している)



現状、本人の書いたものとしては「龍馬」表記しか確認されておらず、そのため、本名は「龍馬」とされていますが、「龍」という漢字が使えなかった時期の資料は「竜」表記なんです。この「始末記」も「竜」で統一されているようなので、そのまま引用しています。
これは有名な司馬遼太郎の「竜馬がゆく」も同じ事情のようですね。もともとが新聞連載だったために、「龍」は使えなかったようです。司馬氏はフィクション設定が多いから史実と異なる「竜馬」ってことでいいだろう、と納得されていたという話もありますが、司馬氏が実際にそう発言したという資料はないようで、どうも研究家の人がそうじゃないかと推測しているってことみたいですね。
以上の引用もあくまで子母沢氏が書いたもので、一次資料そのまんまというわけではないことはご注意ください。
とりあえず今手元にある資料がこれだけなので、これだけでいきます。見つけたら、追々資料は足していきたいと思います。
で、この最期の場面のすぐ前に犯人についての記述があります。以下、再び引用します。
今度は短いです。


明治三年二月から九月に至る、兵部省および刑部省の今井信郎口書判決によれば、下手人は、佐々木唯三郎、渡辺吉太郎、高橋安次郎、桂隼之助、土肥仲蔵、桜井大三郎、今井信郎の七名となっている。今井は京都見廻組七十俵六人扶持の旗本で、後に東海道金谷の村長をしていた事がある。丈のすらりとした人物で、腕はなかなか冴えていた。


で、この後に刑部省の口書が引用されているんですが、なんせ漢文なので(汗)引用がしんどいので割愛させていただきます;;
子母沢氏も、これをこのまま信用できるかどうかは別として、と一言書いています。今井の供述が事実と一分の狂いもなく一致しているかといえばそうでもなくて、そこが複数の説が出てきた理由ともなっているわけですが、逆からいえば、他の説と比べると、圧倒的に近いのも見廻組説なんですね。
他の説というと、もっとも有名な新選組説、紀州説、薩摩説、中には中岡慎太郎真犯人説なんていうのまであって、百花繚乱の様相を呈していますが、それらすべてが状況証拠だけで、証言も資料も聞き書きも残っていないんです。つまり、証拠といえるものが確認できるのは見廻組説だけということで、検討に値するのもこれだけということになってしまうということですね。
現場に駆け付けた土佐藩士の手記なども見た記憶があるので、それらも見つけ次第、ここにあげていこうと思いますが、まあ、とりあえずは今回はこれだけアップしておきます。

最近見聞きするようになった中岡慎太郎説ですが、これも最期の場面を知っているのは中岡だけという状況証拠だけです。
でも、引用を見ていただいたらおわかりになるかと思いますが、当時、現場にいたのは殺された藤吉と龍馬、中岡の三人だけだったわけじゃなく、一階には近江屋主人家族もいたわけですよ。で、龍馬が主人に医者を呼べと言っています。
他の資料では近江屋主人も外部から来た複数の刺客がいたのを見た、と書かれていました。この資料もいづれ探してアップしたいと思いますが、要するに、そうした資料を当たれば、少なくとも現場に正体不明の侍が複数いたことは確かなわけで、彼らの存在を無視してまでも、中岡が犯人だという必然性は全くないということになりますよね。
つまり、中岡説を唱えているのは、こうした資料を知らない人というしかないだろうと…まあ、思うんですけどね…それでも中岡を犯人にしたい人は刺客とぐるだったんだとまで言ってるのを見たことありますが…ぐるじゃなくても成立するものをなんでぐるにするかなあと…で、中岡が犯人なら龍馬が医者を呼ぶか?とも思うんですが…

資料的にこれだけ差があるはずの見廻組説がなぜすんなりと支持されていないかといえば、見廻組説の殺害動機が龍馬の役人殺しだからみたいです。つまり、龍馬ファンとしては龍馬はその大きすぎた功績ゆえに大いなる陰謀の犠牲者であってほしいわけで、仮にも役人たる見廻組から殺人犯として殺害された、とはとてもじゃないけど、受け入れられないということのようで。
もっともそれを真っ先に言ったのが土佐閥の谷干城なんですけどね。
坂本先生がお前のような売名の輩に斬られてたまるか、と今井に言い放ったようで(汗)ちょっと待て、谷干城… って感じですが、長くなりますので、続きはまたいづれ。


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