オーディンの森

言葉のお店

犬の名前はなんでポチ?

…とうとうどうでもいいことをやりだしたな;;と思われた皆さん;;もともとどうでもいいことばっかやってるんですよ(^^;;

いきなり「なんでポチなんだあ〜っ!!」とやると、常識疑われるんで(^^;ちょこっと神話がらみでお話しますと、犬というのは神話・民話には大事なアイテムでして、ことに白い犬だと神の使いと考えられていたようなんですね。桃太郎もお伴の犬は間違いなく白い犬でして。吉備津彦は温羅の首を白い犬に噛ませていますしね。で、花咲か爺さんの犬の名前は、じゃあ、シロだったかな?というと、ポチだったような気がする(誰が言ったんだ、そんなこと);;;

犬っていうとなぜかポチだよねえ…シロもありだけど、やっぱりポチ。ポチって、なんとなく、外来語かなあって私、思ってたんですよ。プチから来てるのかな、と。でも、それにしては、ポチって結構古くからある言葉のような気がする…でも、古語にP音の言葉ってあるのかなあ…なんかP音だったら外来語のような感じがあるが…あ、でもないのか…昔むかし、「はひふへほ」は「ぱぴぷぺぽ」だったんでしたっけ…

自問自答はもういいから早く答えを教えろ、ってことで(^^;;

で、とりあえず愛用の『広辞苑』第三版 岩波書店で引いてみました。

で、とても面白いことになったんです(^^)

ぽち、って実は漢字があったんですよっ!!あ、そこの人、今、広辞苑引くのなしね(^^;;この先、面白く読めなくなるんで(要するに広辞苑のまんまやるつもり;;)

引用、行きます☆

 

ぽち【点】

一、[名詞]小さい点。ちょぼ。(京阪方言)心づけ。祝儀。チップ。

二、[接尾語]不足の気持ちをあらわす語。だけ。ぽっち。「これっぽち」

 

ぽちって、ぽちって、点って漢字で書くんだあああああ〜(><)さすが表意文字☆意味は一目瞭然。点ってことなんですね!そういえば書類についてる穴のこと、ポッチとか言いませんでした?

で、ついでですけど、お正月にお年玉入れてもらうぽち袋の「ぽち」は京阪方言の祝儀って意味になって、また意味合いが変わってくるってことなんでしょうね。もともとはやっぱり「小さい点」って意味で、それが変化してわずかばかりのお金である心づけを「ぽち」というようになったのでしょうが。しかし、チップと心なしが響きが似ているのは面白いです(^^;;

で、接尾語となってもやはり小さい点という原義はついてまわります。少ないよ!という気持ちを表す言葉となってますね。

で☆

本題に戻ります。

…本題って何だ?とお思いでしょう(^^;;犬の名前はなんでポチ?これです;;

要するに、ポチって小さい点のついている斑犬のことなんじゃないでしょうか?斑犬はポチ。白い犬はシロ。見た目の特徴をそのまんまつけたというわけじゃあないでしょうか…てなことは、どこの誰も言ってなくて、あくまでも私の思いつきでございます(^^;;;

でも、考えてみれば、小さい犬はチビだし、三毛猫はミケだし、もともと動物に限らず、名前というもの自体が個を他と識別するために存在するものだと考えれば、当然、ぱっと見から入るというのは辞儀に適ったことなわけですよ、なるほど;;(自分で納得するな(^^;;)

あれっ?じゃあ、タマはっ?猫のタマは何から来てるんだろう?丸くなるから?何だろう?わからない;;誰か教えて〜〜〜疑問終わらず。

                                      topに戻る

                                     indexに戻る

 

「こんにちは」の「は」・「さようなら」の「う」

ぶっちゃけた話、最近、ちょい多忙で、要するに更新遅れてますんで、あまり珍しくもない話でお茶を濁したいなあと思います(身も蓋もないなあ(^^;;)

挨拶の言葉の話です☆

朝の挨拶、「おはようございます」が見たまんまなのは、どなたもおわかりになることだと思いますが(^^;;昼の挨拶、「こんにちは」もまあ、そんなようなもんですね(爆)つまり、「今日は、いい天気ですね」とか「今日は、どちらへ行かれるんですか」とか、原義は、昼に出会った相手に語りかける言葉の出だしです。たぶん「今日は御機嫌如何ですか?」が正当派かと思いますが。

まあ、だから、現代語訳をしますと、「きょうは」ということになるんですね、ってホントかどうか知りませんよ、今思いついたんだから(爆)でもまあ、間違いないと思います;;

で、そういうわけで「こんにちわ」ではなく、「こんにちは」なんですね。「わ」じゃなくて「は」。

…タイトルにはそう繋がるんです(^-^;;;

今でも突然、人に会った時に、咄嗟に話題も思いつかなかった時に言いませんか?

「今日は?今日は?どちらへ?」とか「今日は?今日はどうされたんですか?」とか(^^;;

時折、街角で見かけるおじさん達のコミュニケーション…おばさん達も…若い人も使ってるかも…

で(^^;;「さようなら」に行きましょう(そんだけかい;;)

あんまりもったいつけてもしょうがないんで(それほどのネタじゃないし;)ストレートに言うと「さようなら」は「さようならば」です。「左様ならば」ですね。

前後に言葉を足すと「まだまだお別れしたくはないが、御都合がおありとあらば是非もなく、さようならばお別れの言葉を交わしましょう」と…今作ったオリジナルですが、そういうことになるでしょう。

「さよなら」という言い方もありますが、元が「左様ならば」なので、「さようなら」と「う」が入る方が原義に近いということになりますか…はい、タイトルにはそう繋がるんです(^-^;;;

こっちの現代語訳はというと「じゃあね」ですね。左様ならば→それなら→それじゃあ→じゃあね…そういうわけです。

考えてみると日本語ってこういう略し方好きですよねえ。

近年、若者言葉として(!)流行ったといわれている(私は聞いたことない)話し始めに「ていうか」という言葉。これも前後の言葉を足してみると、「わざわざ言うようなことじゃないかもしれないし聞きたくないかもしれないけども、今話すべき話題かどうかもわからないけども話してみたい気もしてるっていうかそんな感じでちょっと口火を切ってみるっていうか」というところ?ちょっと違う?

要するに話題のど真ん中を射抜くのではなく、回りから埋めていって「そんな感じ」のニュアンスを言葉の羅列で伝えるという婉曲表現の究極の省略っていうか?(^^;;

まあ、日本語の特徴の一つに婉曲表現がありますからね。古文の授業で習いましたよね;;

昨今、しかめっ面世代の方々は、婉曲表現を若い世代の自信のなさの現れだとか評しておられるようですが、長い日本語の歴史を考えると、実に日本語の特性を備えた現象といえるのではないかと私は思いますけどね。むしろ、しかめつらしく漢語を断定的に使うという風潮の方が明治期以降に流行りだした翻訳文化に起因する比較的新しい言語形態から派生したものではないかと、想像したりもしますが、さて、どうでしょう。

                                      topに戻る

                                      indexに戻る

 

真っ赤なウソ・赤の他人──赤・青・黒・白

真っ赤なウソ、赤の他人、っていいますよねえ。赤裸とか。なんで赤なんだろうって思いません?

赤裸は、因幡のしろうさぎみたいに毛むしられたら赤くなるからかなあ、とか思わないでもないですが(ホントか〜?;;)…ウソってばれたら赤くなるから?じゃあ、赤の他人は?;;;こじつけて納得しようとしても、まあ、そうはいかないわけで(^^;;

あ、今のはみんなウソですからね;;信じないように;;

で、何で赤かという話はこれから始まります(^^;;

むか〜しね、赤の他人の赤は「水」を意味しているという話をテレビだかで聞いたことがあるんです。水みたいに冷たい関係だから、と。ホントかあ〜?とか思ってたんですが、とりあえずそれをネタにしてみるか、と、実は今回は書き始めたんですけどね(^^;;でも、調べているうちに、そんなこじつけよりももっと適当な理由を見つけたんで、いきなり方向転換したって事情もあるんですけどね;;

実は「あか」が「水」を意味するっていうのは知ってるんです。これ、御存知の方って割合おいでになるんじゃないかって思うんですが。結構、とりあげられてますからね。まだそういう情報に出会われていない方のために説明しますと。

仏壇や墓前にお供えする水のことを「閼伽」(あか)といいますよね。御存知でしょうか。今回『角川外来語辞典』(荒川惣兵衛著)と『広辞苑』(第三版、新村出編 岩波書店)の二冊の辞書を使わせていただきますが、『広辞苑』によれば、

「閼伽 貴賓または仏前に供えるもの。特に水をいう。また、それを盛る容器。」

とありますから、もともとは水じゃなくてもよかったんでしょうね。へえ〜(←知らなかった)。閼伽棚ともいいますよね、お供えする台のことを。

閼伽は中国語から日本語へと入ってきた言葉ですが、中国にも外来語として入ってきた言葉でして、元は梵語へと行き着きます。argha、arghyaと外来語辞典にはあります。広辞苑にはargha、arghya…あ;;一緒でしたね(^^;;

で、この言葉は東に流れて中国へ入ると同じように、西へと流れていき、ラテン語にも流入しました。気がついた方もいらっしゃるかな?そう、aquaです(^^)アクアリウムといえば水族館だし、アクアラングというのもありますよね。アクアマリンといえば宝石ですね。碧玉の宝石と、赤を連想させる閼伽と、東西で色のイメージが正反対になっていくというのも面白いですよね(^^)

で。

これも実は前振りというわけでして(^^A;;

赤の他人の「あか」が水だという、テレビで見た説にどうも納得がいかない、という話につながります;;だいたい水が冷たいとかいう連想がちょっと飛んでますよねえ〜(- -)

で、赤。

以前、何気なく広辞苑で色の意味を調べたことがあるんです。なんて説明してあるのかな、と思って(^^;;←意地悪;;

が、これが目から鱗の思いつきになるとは思いもしませんでしたよ☆

 

「あか【赤】(一説に、「くろ(暗)」の対で、原義は明の意という。→あお)(以下略)」

「あお【青】(一説に、古代日本語では、固有の色名としては、アカ・クロ・シロ・アオがあるのみで、それは明・暗・顕・漠を原義とするという。本来は灰色がかった白色をいうらしい)(以下略)」

「くろ【黒】(「くら(暗)」と同源か。また、くり(涅)と同源とも)(以下略)」

「しろ【白】?太陽の光線をあらゆる波長にわたって一様に反射することによって見える色。(以下略)」

 

…なんで白だけ説明が違うっ;;きっと違う人が書いたんだな(- -;;閑話休題。

色というと物の色というイメージが強かったんですが、この説によると、もっと広大に広がる、大気の色とでもいうべきものから発生しているというのは驚きでした。朝が訪れた時の色、夜が更けていく時の色、白々と明けてくる時の色、明け切らない時の色、その微妙な色の差が色の原義だと考えるのも、何だか壮大な感じがしていいですよねえ〜( ̄▼ ̄)

で☆「赤の他人」。

もうおわかりだと思いますが、そう、「明らかな他人」なんですね。「真っ赤なウソ」は「全くのウソ」、「赤裸」も「まるっきり裸」ってわけですね(^^)

が、こんな紆余曲折を経ずとも、広辞苑で「赤」を引いたら、三番目にちゃんと書いてあるんですよね、実は(^^;;

 

「?名詞の上につけて、「まったくの」「すっかり」「あきらかな」の意を表わす語。「──はだか」「──恥」

──の他人 まったくの他人。全然縁のない人。」

 

ははは(^^;;

                                      topに戻る

                                      indexに戻る